21歳で最年少市長になるインド南部の学生「医療をすべての人に届ける」【ケーララのITのハブ都市】
ティルヴァナンタプラムから国の最年少市長に選ばれたのは21歳のAryaRajendran・アリヤ・ラジェンドラン女史。企業、パンチャーヤト、ブロック団体の過半数を獲得した最近の地方選挙での勝利を受けて波に乗る。Arya Rajendranは、6歳のときに、党に所属する子どものBalaSangamのメンバーに。党の青年部であるインド学生連盟の事務局長。大学の友人の何人かがいたずらだと思ったというが、インド左派共産党の地区事務局からの電話があった。ラジェンドラン(21)に党はティルヴァナンタプラム市の新市長というポストを用意した。
インドの最年少の市長。若い頃から政治に夢中だったという。電気技師とLICエージェントを両親に持つ。下位中産階級の家族の出身である彼女の1階建ての家には自動車道がない。党首のジャミーラ・スリードハラン氏と他の2人も出馬していたが、党は彼らよりも若い指導者を選んだ。「歴史都市ティルヴァナンタプラムは美しい。廃棄物処理を確実にしてよりきれいに。すべての人の医療を確保する」と所信。
オールセインツ大学の理学士2年生。Arya Rajendran(1999年1月12日生まれ)はUDF候補のSreekalaを2872票で破る。マハラシュトラ州議会の野党党首であるDevendraFadnavisの記録は27歳でナグプール市長だった。
ティルヴァナンタプラムは、インド南部ケーララ州の州都。意味は「アナンタの土地」。トリバンドラム、トリヴァンドラム (Trivandrum) とも表記。インド亜大陸南端付近、アラビア海から3kmほど内陸に位置。コーチ、カリカットと並ぶケーララ州の主要都市。 インド最大でインド初のITパークを抱えるITハブで州のソフトウェア輸出の8割を担っている。インドの宇宙開発の発祥地でもある。
インド共産党マルクス主義派はインド左派共産党とも表記される。共産主義政党。元々はインド共産党であったが、党の修正主義と派閥主義に反対した急進派が1964年インド共産党から離脱、インド共産党マルクス主義派を結成し、同党は2つに分裂した。現在は双方の党は左翼戦線を組み選挙協力関係にある。CPI-M。
2006年5月の議会選挙ではインド共産党マルクス主義派を中心とする「左翼戦線」がケーララ州(ここでは「左翼民主戦線」を名乗って98議席を得て政権を奪還。国民会議派とインド人民党の二大政党のあいだでキャスティング・ボートを握り続け、党から下院議長にソームナート・チャタルジーも輩出していた。インド国民会議を中心とする統一進歩同盟に閣外協力するなど、大きな影響力を有していたが、2008年7月に米印原子力協力に反対して閣外協力を解消した。
2009年連邦下院選挙では議席を大きく後退させて第三党ではなくなり、16議席の獲得にとどまった。また、1977年から34年も政権を握り続けた西ベンガル州ではタタ・ナノの工場誘致をめぐる強引な土地収用への反発から全インド草の根会議派が台頭して2011年の州議会議員選挙で敗北。ケーララ州でも負け、両州の政権を失った。2014年連邦下院選挙でも退潮に歯止めをかけることはできず、ついに一桁の9議席まで後退し、2019年連邦下院選挙では更に後退して、3議席となった。
2016年ケーララ州議会選挙ではインド国民会議から政権を再び奪取した。2016年現在ではトリプラ州、ケーララ州において州政権を握っている。
左翼戦線は、地元の世論調査で多くの若者と女性を擁護していた。より多くの若者を党に引き付けることができるのか。
日本では2017年に大阪・四條畷市長に28歳・東(あずま)氏 現職首長で最年少。元外務省職員東修平氏(28)が現職土井一憲氏(61)を破り初当選した。東氏は北海道江差町の照井誉之介町長(32)を抜き、現職首長で最年少となった。市長当選時の年齢としては、1994年に27歳で東京都武蔵村山市長に当選した志々田浩太郎氏に次ぎ、2番目に若い。
危機の時代に思い切った決断をすることは大切だ。