なぜインド洋モーリシャス沖の貨物船の燃料流出は起きたのか?【生態系への影響が懸念される座礁の中でも特異な事故】

インド洋モーリシャス沖で起きた貨物船の座礁事故は、燃料の流出が生態系に深刻な影響を及ぼしている。7月25日の夕方にポワントデニーのサンゴ礁に座礁する前に、乗組員はメンバーの1人の誕生日を祝っていたとされる。ばら積み貨物船の乗組員の3人のメンバーが中央犯罪捜査局(CCID)の調査員に述べたとのこと。貨物船が島に接近して無線LAN接続と述べているという。ばら積み貨物船の20人の乗組員は、3人のインド人、16人のフィリピン人、1人のスリランカ人で構成。キャプテンはスニル・クマールNandeshwar、58歳。

 海岸にとても近いところで何をしていたのか?現地報道などによると、衛星画像だと貨物船のトランスポンダ-は、7月23日午前11時直前にモーリシャスの排他的経済水域に進入したことを示している。モルディブの南を通過する直前、事故の約4日前に方向を調整した。乗組員のメンバーがポートルイスのルサンジョルジュホテルで事情聴取。
 報道によると、商船三井が運航する貨物船「WAKASHIO」の乗組員は当局の調べに対しWi-Fi接続するために陸に近付いたと供述している。流出した重油の一部はすでに海岸に達していて、美しい海や生態系への深刻な影響が懸念される。

 船体からは1千トン以上の重油が流出している。近くには野鳥の保護区がある。モーリシャスの人々は髪を切り、藁、サトウキビを詰めた布やストッキングの袋で独自のオイルフェンスを作る。髪の毛は脂肪親和性があり油に付着する。美容師もカットを無償で行う。髪はまた伸びるとSNSで運動が広がる。

 1978年。フランスのブルターニュ沖でタンカーが座礁し、22万880トンの重油が流出した。アモコ・カディス号事故。2004年にメキシコ湾のテイラー・エナジー社の原油流出事故でも使用
 絶滅の危機に瀕していた鳥や希少植物の自然保護区からおよそ2kmの場所。ブルー・ベイ・マリーン・パーク。魚やカニが死んでいるとの報道もある。マングローブ被害、サンゴも死滅、土壌汚染も心配される。環境保護団体「モーリシャス野生生物基金」は回復するには数十年かかる可能性がある。
 貨物船は速度を落とさず11ノット(時速約20キロ)でモーリシャス島に向かっていた。米誌フォーブスは、航路を追跡した衛星データを基に「標準的速さで航行していた」と報じた。

 商船三井の11日の発表「当社が長鋪汽船株式会社の関連会社(以下「船主」)から用船し、運航しているばら積み貨物船WAKASHIO(以下「本船」)はインド洋航行中のモーリシャス島沖で座礁により自力航行不能に陥り、救助作業中の8月6日(木)に燃料油が流出しました。1.油濁の防除
本船は座礁した日本時間7月26日時点で、燃料としての重油約3,800MTと軽油約200MTを保有していました。日本時間8月11日早朝までに、重油約1,020MT(メトリックトン)は小型タンカーへ抜き取り回収し、破損しているタンク内にあった約1,180MTのうち船外に流出したと推定される約1,000MTから推定約460MTが海上および陸上(海岸)で手作業により回収されました。本船上には重油約1,600MTと軽油約200MTが残っており、引き続き回収作業を継続します」

 座礁とは、船舶が暗礁や浅瀬に乗り上げ、動けなくなることを指す。座礁後に横転・転覆してしまうこともある。船体に穴があいたりゆさぶられる間に穴が開き海水が流入し沈没する場合もある。日本では外国船を中心に放置されることが多く、2004年には船舶所有者への保険加入の義務付け、無保険船への入港禁止を盛り込む形で油濁損害賠償保障法が改正され、船舶油濁損害賠償保障法となった。

 ナホトカ号重油流出事故は、1997年1月2日、島根県隠岐島沖の日本海で発生した。最初の重油漂着は1月7、福井県の越前加賀海岸国定公園内の海岸。続いて島根県から石川県にかけての広い範囲にも重油が漂着した。

 湾岸戦争における石油流出。1991年の湾岸戦争によってペルシア湾で発生した歴史上最大級の石油流出。イラク軍による人為的なもので、アメリカ海兵隊の上陸や石油備蓄の奪取を妨げる意図があった。流出域は最大で長さ160キロメートル・幅68キロメートルもの範囲に広がり、厚いところでは13センチメートルもの原油の層ができた。
 南極ではいつまでたって消えない油膜を撮影、取材した。その後、クルーズ船MSエクスプローラー号が2007年11月に氷山と衝突し沈没した。MSエクスプローラーの事故をきっかけに南極海クルージングでの重油使用が禁止され、高価だがクリーンな船舶用軽油の使用が求められるようになった。南極条約では、環境に重大で有害な影響をもたらす偶発的出来事として船舶の座礁に伴う燃料油の流出等が想定されている。
 1965年(昭40) 5月23日、ヘイムバード号岸壁衝突。室蘭港内。ノルウェー。タンカーが原油27,283KLを積載し入港着岸作業中、操船ミスで岸壁に衝突し、原油が流出、直後に引火爆発し、28日間にわたって燃え続けた。
 1978年(昭53)、上述のアモコ・カディス号座礁。ブルターニュ沖(仏)。リベリア。タンカーがアラビア湾から英国向け、原油約260,000KLを積載航行中、暗礁に乗り上げ座礁。船体が3分割に破断し、積荷全量が海上流出、海岸線が400kmにわたって汚染された。ムース化した漂流油の回収に約2ヶ月、漂着油の除去・処理・処分に約6ヶ月を要した。
 直接取材をしたため記憶に鮮明なのがマリタイム・ガーデニア号。1990年(平2) 1月26日、京都府経ヶ岬付近でリベリア船籍の貨物船。経ヶ岬沖を空船で山口県笠戸向け航行中、季節風で圧流され暗岩に底触、浸水し、航行不能となった後陸岸に座礁。船体が2つに分断し燃料油のほとんどが流出。海上では、船舶により処理剤、航行攪拌により油処理。陸上では、京都府・福井県魚連の作業員による人海戦術で油の回収にあたった。
 モーリシャス沖の事故は原因も影響も、きわめて特異な事故と言わざるを得ない。

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