【インドの文化】アーユルヴェーダ

アーユルヴェーダはインドの伝承医学。生理機能のバランスを整え、自然治癒力を高めることに主眼を置く。アーユルは長寿、ベーダは知識という意味。発祥はおよそ3000年前とされる。三つのドーシャDosa、すなわちバーユ(風)、ピッタ(熱)、カパ(冷)の均衡が保たれているときは健康であるする。生薬などによって均衡を図るのが治療の原則。医師は食事指導を第一とする。インドでは5年制の大学で教育と研究が行われている。卒業と同時にバイディヤの称号が与えられる。

バラモン教の経典「ヴェーダ」には、
①『リグ・ヴェーダ』
②『サーマ・ヴェーダ』
③『ヤジュル・ヴェーダ』
④『アタルヴァ・ヴェーダ』がある。
ヴェーダから生命に関する知識を集大成したウパ・ヴェーダが『アーユルヴェーダ』である。

人類の初期の医学・薬学は呪術と結びついたものだった。
ウパ・ヴェーダには他に、
①『ガンダルヴァ・ヴェーダ』(歌舞学・芸術学)
②『ダヌル・ヴェーダ』(兵法・弓の科学)
③『スターパティア・ヴェーダ』(建築学・都市設計)がある。

サンスクリット語で書かれており、バラモンなど知的エリートの間で受け継がれた。

アーユルヴェーダの最古の文献としては、
『アグニヴェーシャ・タントラ』(紀元前8世紀頃?)があったと伝えられる。

『アタルヴァ・ヴェーダ』に医学に関する内容が多く、『チャラカ・サンヒター』は、『アタルヴァ・ヴェーダ』のウパンガ(副肢)とされた。

4 – 5世紀にジャイナ教、仏教といった新しい宗教や、六派哲学が発展して医学に影響を与え、呪術と医学が切り離されて、経験的・合理的な医学が始まったと考えられている。
西遊記のモデルになった玄奘三蔵は、正確な仏教経典を手に入れるために629年に陸路インドに向かい、645年に帰国した。当時のインドの仏教の状況や、仏教大学であるナーランダー大学で教えられた医学、六派哲学などを記録している。

アーユルヴェーダを代表する古典『チャラカ・サンヒター』(チャラカ本集)では、アーユルヴェーダはブラフマー神(梵天)によって最初に説かれ、幾柱かの神を介してインドラ神に伝えられた。バラドヴァージャという仙人がインドラ神の元に赴き、教えを受けたと述べられている。

一貫して内科を扱う『チャラカ・サンヒター』に対し、クシャトリア(武士王族)と関係が深かったとされる『スシュルタ・サンヒター(英語版)』(スシュルタ本集)は外科も扱い、最終的な成立は3 – 4世紀と考えられている。

紀元前5・6世紀頃から、バラモン教の祭祀至上主義を打ち破ろうと自由思想家達が活躍し、ヴェーダの権威を否定する仏教、ジャイナ教のような新宗教が起こり、ウパニシャッドの哲人たちが活躍し、4世紀頃には六派哲学が隆盛した。こうした時代の中で、医学から呪術性が排除され体系化され、アーユルヴェーダと呼ばれるようになった。

ウパニシャッド(奥義書)は、広義のヴェーダ文献の最後を構成する書物である。その基本思想は、多様で変化し続けるこの現象世界には、唯一の不変な実体(ブラフマン、梵)が本質として存在し、それが個人の本質(アートマン、我)と同じであるという「梵我一如」である。ブラフマンは客観的、中性の原理であり、それに対しアートマンは主体的・人格的な原理である。アートマンは元々「息」「気息」を意味し、転じて「生気」「身体」「自身」「自我」「自己」「霊魂」などを意味するようになった。ウパニシャッド哲学の全思想は、すべて梵我一如の概念の周辺で展開する。

4世紀にマガダ国から起こったグプタ朝の元で、世情は安定し豊かなインドの古典文化が花開いた。バラモン教が国教とされ、サンスクリット語が公用語として用いられた。さまざまな学問の系統が確立し、スートラ(根本経典)がまとめられた。インドの学問のほとんどは、輪廻からの解脱を目的とし、宗教と哲学がほとんど区別できない点に特徴がある。この時代の正統バラモン教の哲学学派には6系統があり、六派哲学と呼ばれた。サーンキヤ学派、ヴァイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派は六派哲学に数えられる。

サーンキヤ哲学は世界を精神原理と物質原理に二分する。精神原理としての「神我」(プルシャ, 純粋精神, 自己, アートマンとほぼ同意)と、物質原理としての「自性」(プラクリティ, 根本原質)の2つを世界の根源だと想定した。物質世界は全て自性から開展して生じ、思考器官(意)や自我意識(我慢)といった心も、精神ではなく物質であり、人間の身体の一器官にすぎないと考えられた。

アーユルヴェーダに影響を与えたサーンキヤの思想に、トリ・グナ説がある。世界が展開する前の自性は、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(闇質)というトリ・グナ(3つの特性)が均衡した静止状態にある。神我の観照(関心、観察)によってラジャスの活動が起こると、トリ・グナのバランスが崩れて世界が開展(流出)する。

六派哲学のひとつヨーガ学派は、サーンキヤ学派に大きな影響を受けている。現代のアメリカや日本では、アーユルヴェーダはヨーガと共に語られることも多い。ただし現代のヨーガの多くは、ヨーガの密教版ともいうべきハタ・ヨーガの系統である。

しかし、インドで人生の四目的とされる法(ダルマ)、財(アルタ)、愛(カーマ)、解脱(モークシャ)のうち、解脱は医学の説くところではなく、アーユルヴェーダとヨーガはインドでは別々のものとみなされている。

インドにイスラム教が伝えられたことで、アーユルヴェーダにはユナニ医学の要素が加わった。逆にユナニ医学には、多くのアーユルヴェーダ薬物が取り入れられている。ユナニ医学はイスラーム勢力の拡大で広がり、ムガル帝国時代にその勢力は最高潮に達した。

イスラム教徒が支配する都市部や宮廷、富裕層ではユナニ医学が中心となり、アーユルヴェーダは衰退したが、ヒンズー教徒が住む周辺部、貧しい人々の間で命脈を保っていた。
16世紀初めにインドに進出してきたヨーロッパ人たちは、アーユルヴェーダ・ユナニ医学共に原始的で未熟な医学として軽蔑した。19世紀中ごろから近代教育が広がると、インドの伝統的な学者(バンディット)たちは自らの伝統に目覚め、復古主義的運動が起こった。アーユルヴェーダは、愛国心の高まりとともに、「インド伝統医学」として復興・普及し、20世紀の独立運動と共にさらに盛んになった。

アーユルヴェーダの隆盛には、莫大な人口を抱え貧困層も多いインドでは、高額な西洋医学ですべての人の医療をまかなえないことも関係している。

現在インドでは現代医学で治療を行う医師の他に、アーユルヴェーダ医師の国家資格(Bachelor of Ayurvedic Medicine and Surgery, BAMS)がある。大学で学んで資格を取得すれば、開業して治療を行うことができる。アーユルヴェーダを教える大学はインドでは100を越え、大学院が併設された大学もある。BAMSの教育期間は、1年の研修を含めて5年半で、現代医学・アーユルヴェーダ両方を学ぶ。

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医学なのだということがわかった。

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