アフガニスタンはどこに向かうのか ③インド

タリバンによるアフガニスタンの再制圧を受け、関係国の動きが急速に進んでいる。アフガニスタンは力の空白が生まれやすい。アジアの内陸部で、19世紀にはイギリスとロシアが勢力を争った。20世紀は冷戦の米ソの争いの舞台となった。2400年前にはインドのアショカ王が現在のアフガニスタン東部を含む南アジアに仏教帝国を築いた。7世紀にイスラム化したが、インドのヒンドゥー教徒は生き残りパンジャブにはシク教が生まれた。今、イスラム主義組織タリバンが政権を掌握した。米国が撤退した後のこの国の行方を直接決めるのは中国でもロシアでもイランでもない。隣国のパキスタンとインドだ。パキスタンと中国を見たうえでのインド。

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「事の成り行きを注意深く追っている」

インドのジャイシャンカル外相は8月18日、ガニ政権崩壊についてそう語った。いつもクールな外相の眼差しは別の意味でクールさをもっていた。激変する成り行きを人一倍の関心をもって固唾をのんで見守っているのが外相だろう。

インドにとってアフガニスタンの政権を親インド政権がパキスタンを挟み撃ちにすることは安全保障の上で非常に重要だった。アフガニスタンの政権は親インド、反パキスタンの姿勢を貫いてきた。インドはアメリカの後押しでできた新政権を歓迎しインフラ整備で積極的に支援した。パキスタンと深いつながりがあるとされるタリバンが主導する政権が再びできれば話は別になる。

パキスタンが背面に広がるアフガニスタンとの関係を強化することはインドにとっては嬉しくない展開だ。インドはパキスタンと歴史的な敵対関係がある。タリバンが支配するアフガンでパキスタンと中国が影響力を強めるとインドにとっては大きな痛手となる。インドは中国とも国境紛争を抱えている。

インドにとってアフガニスタンが心配なのは、ある事件の記憶があるからだ。1999年にインディアン航空が乗っ取られてアフガン南部のカンダハルに着陸した。インド政府は乗客の安全と引き換えに国内に収監していたパキスタン人のイスラム過激派幹部3人の釈放することになった。アフガニスタンで1996年から政権を担っていたタリバンは乗っ取り犯と過激派幹部がパキスタンに戻るのを認めた。

だからインドは崩壊する前のアフガニスタンの民主政権を支えてきた。アフガニスタン34州の全てでインドの開発プロジェクトがある。インドはカブールの国会議事堂も建設している。無償援助で総工費9000万ドルの新国会議事堂ビルを建設、2015年に完成式典を行った。タリバンによるカブール制圧を象徴する国会議事堂の占拠をインドは悔しい気持ちで見つめていたことだろう。SNSには動画が拡散した。アフガニスタン議会内のタリバン軍の動画だ。ガニ大統領が議会を開いた席に十数人のタリバンの重装備の戦闘員がたむろしていた。議会はインドが看板にしている民主主義の象徴だ。インドの国会がイスラム過激派に襲撃されたときのインドの激しい対抗措置を思い出す。民主主義の殿堂のイスラム過激勢力によって襲撃される事件だった。

インドはアフガニスタンのガニ大統領と緊密な関係を築いていた。アフガニスタンに30億ドル以上を投資してきた。道路やダム、電力などのインフラを整え、学校や病院の建設も行ってきた。公務員の研修を実施している。

西部ヘラート州にインドが建設したサルマ・ダムがある。このダムは「インド・アフガニスタン友好ダム」と呼ばれている。インド国営企業の「水利・電力開発コンサルタント(WAPCO)」が設計・施工に当たった。水力発電所が近隣の農地に電力を供給し国造りを支えようとしていた。

道路の建設も行っている。イラン国境の町ザランジとアフガニスタン西部を結ぶ道路だ。この道を使えばイラン南部のチャバハール港からパキスタンを経由せずにアフガンに到達できる。インドにとって非常に重要な貿易ルートだ。

経済力を用いてインドはアフガニスタンの友好国としての地位をパキスタンから奪取することに成功している過程だったのだ。今のインドはパキスタンより経済力がはるかに強い。インドとパキスタンは1947年の分離独立以来、3回の戦争を経験。1998年には核実験の応酬という形になった。しかし近年はライバルというより力の差が明らかになってきている。インドの経済成長とインドの対米外交、グローバルな舞台での活躍でパキスタンは置き去りにされている。

このままアフガニスタンがパキスタンの勢力下の国にならないようにしたい。インドの動きが活発化するのは必至だ。カタールのドーハでの外交の動きが注目される。インドの外交当局もタリバンとの接触に乗り出したとされる。インド国内では、アメリカもタリバンと接触を図っている。インドがガニ政権に肩入れしすぎたのではないかとの批判も出ている。インドはタリバン政権を承認するのか。インド政府代表団は6月、和平交渉が行われていたカタール・ドーハでタリバン幹部と接触している。

インド空軍のC-17輸送機はアフガニスタンに在留していたインド人を救出するためカブール国際空港に降りたち自国民を脱出させた。

インド外交官ら50人はアフガニスタン南部カンダハルから退避した。カンダハルの総領事館勤務の外交官や警護要員約50人を退避させたとインド外務省が8月11日に発表。カンダハルはタリバンの牙城。

カンダハルの名前は、前4世紀の征服者アレクサンドロス(Alexandoros)の「xandoros」の部分が転訛したとの説がある。冠詞をの「アル」を除くとそうも聞こえる。カンダハールの東方、カーブルのさらに東にある仏教文化の本場ガンダーラの転訛とする説もある。1748年にアフマド・シャー・ドゥッラーニーが建国したドゥッラーニー朝の首都だった。

シク教の聖典「グル・グラント・サーヒブ(Guru Granth Sahib)」が8月24日、タリバン実権を掌握したアフガニスタンからアフガニスタンから退避してきたシク教徒が持ち帰った。デリー国際空港に到着し、聖典は特別車両で運ばれた。

イスラム教徒の脱出にはインドは何をしたのか。

インドはテロとの関係で事態を注目している。インド国内のイスラム教徒のテロ活動が懸念される。インドのヒンドゥーナショナリズムはイスラム教徒の反発を生んでいる。イスラム教徒との緊張の高まりでテロ組織の主張に共感した者によるテロが起きることはないのか。

2019年8月。イスラム教徒が多数を占める北部ジャム・カシミール州の自治権を剥奪する憲法改正が成立。12月にはイスラム教徒を除く周辺国からの不法入国者に国籍を付与する市民権法改正法(CAA)が成立した。インドではこれに反対するイスラム教徒の抗議活動が活発化しヒンドゥ―教徒がイスラム教徒を襲撃する事件やイスラム教徒と警察との衝突が相次いだ。テロ組織が積極的な宣伝活動を行い宗教対立と治安悪化の中で混乱と不安が拡大した。

アフガニスタンを拠点とするのアルカイダ関連組織「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)は2019年10月、ジャム・カシミール州の自治権剥奪に対し「イスラム教徒が弾圧されている」と非難した。内外のイスラム教徒にインドの政府や軍を攻撃するよう呼び掛けた。2020年1月にはヒンドゥー教徒に対するテロを実行するよう促す動画も公開している。

「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)は、2020年5月に声明を発表しインド政府の措置が不当な扱いで人種差別であると非難した。不当な扱いを理由にした戦いは許されるとテロの実行を呼び掛けている。最高指導者ザワヒリは,2020年年9月の動画でインドを標的として名指ししている。ザワヒリといえば、ビンラディンとともにアルカイダの生みの親となった存在だ。

イスラム国、つまり「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)は2020年2月、アラビア語週刊誌「アル・ナバア」で,「インドの愛国主義,ナショナリズム及び民主主義によってイスラム教徒の土地・金が失われている」と批判した。

2020年3月にデリーで、ISILの「ホラサン州」と関係があり自爆テロを計画していたとして逮捕された夫婦(ジャム・カシミール州出身)は、SNS上でイスラム教徒に対し,CAAに反対する抗議活動のために結集し,インド政府と戦うことを呼び掛けていたとされる。
7月に中西部・マハーラーシュトラ州で、ISILの「ホラサン州」のためにテロを計画していたとして逮捕された女子学生(マハーラーシュトラ州出身)も,CAAをめぐる対立を利用してSNS上等で反政府感情を煽っていたとされる。

貧困のアフガニスタンに必要なのはアメリカ、ロシア、中国の大国からの支援だろう。医療、ビジネス、鉱業などアフガニスタンが支援を必要としている分野は多い。教育も大切だ。隣国イランとの関係も重要だがとりわけ重要なのがインドとパキスタンになるだろう。ロシアもタリバンの影響力が中央アジア諸国に波及しテロリストや過激派を刺激することを警戒するだろう。イランは少数派でイスラム教シーア派が多いためかつてタリバンから迫害を受けたハザラ人を守る立場だ。

アフガニスタンは世界の主要国と近隣国の大きな不安要因となった。アフガニスタンの混乱の中で中国とパキスタンが接近する可能性がある。そうなるとインドとアメリカ、日本にも影響が出る。

クラブハウスで議論した。綱引きにもならない変化と迷走が続いている。