シタール

伝統的なシタールは19弦。棹の金属製のフレットの上には7本の金属製の演奏弦が張られている。左手の指で弦を押さえる。ミンドというチョーキングの奏法で4から5度の音をだすことができる。右手指先に付ける金属製の爪のミズラブ。弦をはじいて演奏する撥弦楽器。フレットの下には約12-16本の共鳴弦が張られている。胴は通常ヒョウタンかカンピョウの原料となるユウガオの実でカボチャや木製のものもある。真鍮製のものは珍しい。棹の上部にも小振りの共鳴器が付くが機能しているのだろうか。

サンスクリット語saptatantri veena(七弦のヴィーナ)から派生し、後にsaat taar(saatは「七」、taarは「金属の弦」)と呼ばれるようになり、最終的に「シタール」となったとされる。

倍音の豊かな音色。標準的な調弦は六弦を使ったRaga yamanにおいて、G D F# A D D。ビートルズのジョージ・ハリスンが「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」や「ノルウェーの森」で使用。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズも「黒くぬれ!」で使用。ウッドストックで演奏したインドのシタール奏者のラヴィ・シャンカルは、ジョージ・ハリスンのシタールの師匠であることは有名。

千葉県検見川町の「印度料理シタール」の店主増田泰観さんとはずいぶん前にお会いしたことがある。学生アルバイトとして働きながらインド料理を習い始めた1975年。当時東京には本場のインド料理店が3軒しかなくそのうちのひとつである「印度料理アジャンタ」という有名店に入店したとのこと。インドへ足を運びながら地元の家庭料理から有名シェフの創作インド料理まで自分の舌で味わうようにしているとのこと。

弦は全部で17本から22本と幅がある。流派によって異なるという自由度がよい。シタールの1番下部の大きな膨らんでいる所はトゥンバと呼ばれる。

ラヴィ・シャンカルはシタール奏者作曲家。イギリス領インド帝国、ヴァーラーナシー生まれ。ジャズ歌手のノラ・ジョーンズと、シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカルは異母姉妹で、娘。ともに60歳前後で授かった。シタール奏者のアナンダ・シャンカルは甥。

舞踊団のダンサーとして欧米諸国で活動していたシャンカルが15歳の時、ババ・アラウディン・カーンからシタールを勧められた。カーンの元で7年半修業をした。1950年代にインド政府文化使節のリーダーとなり世界各国で演奏活動を行った。1958年(昭和33年)に来日した際、ラジオ東京テレビ(現・TBS)にてテレビ出演し4月6日に『東芝日曜劇場』枠で放送された。「楽器は神聖なものである」というシャンカルはウッドストックで観客たちに苦言を呈する場面もあった。1971年、バングラデシュの飢饉のためにニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開いたチャリティーコンサート『バングラデシュ難民救済コンサート』(The concert for Bangladesh)にて、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、エリック・クラプトンらとともに共に参加し『バングラデシュ・コンサート』としてアルバム化された。

サタジット・レイの監督作品や『まごころを君に』(『アルジャーノンに花束を』の映画版)、『ガンジー』など多くの映画音楽も手掛けた。ジャン=ピエール・ランパルやユーディ・メニューインといった西洋音楽の奏者との共演も積極的に行い、シタール協奏曲も作曲している。尺八奏者山本邦山、箏奏者宮下伸と共演している。

「ラヴィ・シャンカールの娘」は1981年にロンドンで生まれたアヌーシュカ・シャンカール。9歳の頃から父親ラヴィ・シャンカールの元でシタールを学ぶ。アルバムは1998年の「アヌーシュカ」。インド人女性として初めてグラミー賞のワールド・ミュージック部門にノミネートされた。アルバム「ライズ」では古典音楽の領域を超えた。インドのテクノ・ユニット、ミディヴァル・パンディッツのゴーラヴ・レイナと。東欧や南アフリカの楽器も使う。

クラブハウスで情報交換した。

知己のシタール奏者に中山知絵さん、田中悠宇吾さん、
著名なシタール奏者にBudhaditya Mukherjee: Raag Jhinjhoti。
シタールの指導者にアミット・ロイさんがいる。

https://amit-roy.com/