ウクライナ危機の中の岸田首相訪印 「日本が知るべき印露の5つの紐帯」
ウクライナ危機の中の岸田首相訪印
日本が知るべき印露の5つの紐帯
岸田首相が今月19日からインドを訪問しモディ首相との首脳会談を行った。インドと日本は国交樹立から70年を迎え「自由で開かれたインド太平洋」のつながりを確認し、サイバーや宇宙、海洋、軍縮・不拡散など日本はインドとの二国間の連携を深めていきたいところだ。しかし今は。。。日本のインド外交はロシアのウクライナ侵攻が最大の焦点となった。軍事行動でロシアが孤立を深める中、ロシアとのパイプを維持しているのがインドだからだ。モディ首相、プーチン大統領はほぼ毎年、相互に相手国を訪問し良好な関係を維持し、昨年12月にもプーチン氏がインドを訪れ、軍事協力強化などで一致している。
そのインドは、2月24日に国連安全保障理事会に提出されたロシアのウクライナ侵攻を非難する決議案の採択で、15カ国中、11カ国が非難決議に賛成し、ロシアが孤立する中、中国などとともに棄権に回った。これはロシアから見れば友好的な国に見えただろう。一方で日本は、3月7日、ロシア政府から「非友好的な国」とされた。アメリカ、イギリス、EU=ヨーロッパ連合の加盟国、韓国や台湾などとともにロシアからはっきりと距離を置かれる存在になった。日本がインドを通してロシアに働きかけをしたかったはずだ。しかし、それがいかに難しいかを知るためには、インドとロシアとの5つの深いつながりを理解しておかなければならないだろう。
「軍備」
まず第一はインドがロシアとの軍事的な結びつきだ。ロシアはインドにとっての最大の武器調達国。空母「ヴィクラマディティヤ」はロシア海軍から譲り受けたものを改装、超音速巡航ミサイル「ブラモス」はロシアと共同開発、そしてロシア製地対空ミサイル「S400」は去年11月にインドへの供給が始まった。中国やパキスタンと国境紛争を抱えるインドにとってロシアは、国土への侵入を防ぐための高性能の兵器や装備を、弾薬や部品とともに提供し、保守やシステムの更新まで行ってくれるありがたい存在だ。
古くは1965年の第二次印パ戦争で、アメリカがパキスタンに戦闘機F104を供与したのに対し、ソ連はインドにミグ21を提供している。その関係は今も続いており、昨年末の首脳会談では今後10年間の軍事技術協力や兵器の共同生産に合意している。
「経済」
では武器を購入する資金をインドはどのように調達したのか。印ロの紐帯の第二の要素は、経済だ。インドとロシアの貿易は決して大きなものではないが歴史を振り返ると戦略的な関係であることがわかる。冷戦時代に社会主義の経済体制をとっていたインドの製品は品質が悪く国際競争力を持たなかった。ソ連はそのインド製品を購入して武器を調達する資金を提供した。ルピー建の取引で売られる一次産品や軽工業品と交換する形で武器を調達することができたのだ。
戦後の印ソ関係は経済援助から始まった。1956年のインドの第二次5ヶ年計画では、ソ連が製鉄所建設を援助した。重厚長大の社会主義的な国家主導の産業育成は民間主導の西側の援助とは異なる意味でインドにとっては有益なものであった。
インドは1968年ごろから外貨不足に対して輸出入均衡化政策をとり始め、非同盟のユーゴスラビアとエジプトのほか、東側諸国との貿易を拡大した。ソ連や東欧諸国で不足していた軽工業品を供給することでインドの自給的経済体制を可能にした。輸出品を買ってくれる東側の国々の選択は東西のイデオロギー的選択ではなく売り手と顧客との関係に近いものであった。
第四次中東戦争が勃発し石油ショックが訪れると、1971年に印ソ平和友好協力条約を結んでいたソ連はルピー立てでソ連産原油をインドに供給した。インドは日本と同じように化石燃料に乏しい。原油の動向がインフレと直結し政権の支持率にもすぐ跳ね返る。イランや中東諸国だけでなくエネルギーを提供してくれる国としてのロシアの存在は重要だ。
ソ連邦の崩壊はインドを経済開放へと向かわせた。1993年にはエリツィン大統領が初めて訪印し新しい経済関係を模索し始める。インドからロシア向けの輸出は紅茶やタバコなど伝統的な輸出商品に限られていたが、2019年9月、プーチン大統領とインドのモディ首相はウラジオストクで開かれた経済フォーラムで会談し、両国間の年間貿易額を110億ドルから2025年までに300億ドルに増やす方針が明らかにされた。インドはエネルギーに占めるガスの比率を引き上げ、インドのガス輸入会社がロシアから液化天然ガス(LNG)購入し、インドの石炭生産会社がロシア極東で石炭採掘に乗り出すことになるなど、エネルギー分野での関係を強化している。
地域間の協力も具体化している。2001年のヴァジパイ訪露時にインドのグジャラート州とロシアのカスピ海沿岸アストラカン地方との協力議定書が調印されたが、2002年にも地方レベルの協力関係強化策としてインドのカルナータカ州とロアのサマラ地方との貿易・科学・技術・文化協力議定書が調印されている。
「核保有」
インドがソ連(ロシア)と密接な関係を築くきっかけになったは、1962年の中印国境紛争での敗戦とその翌々年の中国の核実験だ。国産の武器を作る力がなかったインドに、ソ連の武器が流れ込んでいった。武器の調達だけではない。1998年、インド人民党が核実験を強行するとロシアはインドを強くは非難せずアメリカや日本などが課した経済制裁の列に加わらなかった。筆者がデリーに駐在していた2000年、インドにアメリカのクリントン大統領と、大統領に当選したばかりのプーチン氏が相次いで訪問した。新興国としての存在感を強めていたインドと「戦略的パートナーシップ」を結んだプーチン大統領は、インドと商業用原子炉輸出契約を結んだ。核技術の分野でソ連時代と同じ様にロシアがインドに深く関与する姿勢を示し、その証としてインドの核実験後、中国も供給を停止していたインドのタラプル原子力発電所への燃料を供給を発表した。これは単なる燃料の提供ではなく、核実験の制裁で孤立していたインドをいち早く事実上の「核保有国」としての特別な地位を承認するという意味があった。
「対テロ」
つまりインドとロシアは国の根幹にかかわる部分で結びついている。テロ対策も例外ではない。インドとロシアにはテロの脅威を共有するものとしての連帯がある。テロと分離独立運動が連動する怖さを共有している。インドにとってはカシミール、ロシアにとってはチェチェンなどである。印ロ両国はアフガニスタンのタリバン政権がイスラム過激派戦士の基地となりインドのカシミールの武装組織やロシアのチェチェンでの反政府テロにつながることを懸念している。この二つはアフガニスタンを南北で挟んでいる。デリーで国会議事堂が襲撃された事件もあり、国家の中枢でモスクワが標的になるロシアとの間で過激派対策での連携の必要に迫られ協調したテロ対策をとる必要があるのだ。
1979年のソ連のアフガニスタン侵攻は非同盟運動のインドには容認しがたいものだったがソ連との関係を重視したインドは翌年の国連緊急特別総会での、アフガニスタンからの即時、無条件、全面撤退を求めた非同盟24カ国共同決議を棄権した。ソ連軍のアフガニスタンからの撤退は戦地を求めるムジャヒディンのカシミールへの流入を生みインドを越境テロの脅威にさらしアフガニスタンでは親パキスタンのタリバン政権が生まれた。ソ連のアフガン侵攻はインド側からすると
不利益以外の何もなかった。
しかしインド側からするとソ連(ロシア)にも借りがある。1971年の第3次印パ戦争の時、ソ連は、インドの軍事行動をやめさせようとする決議に拒否権を行使した。第3次印パ戦争でアメリカは戦争の帰趨が決まりかけてから第七艦隊をベンガル湾に送り込んだに過ぎなかったが、アメリカがパキスタンを支援し米中パの連携が形作られる中、ロシアはインドの側に立った。1971年といえば、印ソ平和友好協力条約が結ばれた年である。対立する隣国パキスタンと中国との接近にも危機感を抱いたインドはソ連と平和友好協力条約を結び、非同盟を名乗りながらもソ連とは第三国からの攻撃や脅威に関して相互に協議するという同盟に近い関係となった。
「指導者」
プーチン大統領とモディ首相には、権威主義的な長期カリスマ政権としての共通点がある。プーチン大統領は2021年11月の外交演説でインドを「多極世界のなかで独立し、強固な中心のひとつ」としている。インドは途上国民主主義の悪弊で長期安定政権を築きにくいが、モディ政権は支持率も高く次の選挙に勝てば15年の長期政権になる。コロナ禍の中も
むしろ苦境を政権支持、合意形成の場に巧みに用いている。
だた国内的には強い指導者であっても国際社会での地位はまだ十分に高くない。G7の場面でゲストとして発言してもまだまだ客人扱いだ。民主主義や人権などの西側先進国の価値外交の中では存在感を示しているとはいえない。しかしBRICSや、上海協力機構(SCO)といった新しい多国間の枠組みでは、自らの指導力を発揮できる。2002年、プーチン大統領は上海協力機構の会合に出席した帰途にインドを訪れた。デリー宣言でインドの国連安全保障理事会常任理事国入りに対するロシアの支持を謳った。
インドは今も憲法上は「社会主義」の国である。かつてインディラ・ガンディー首相は与党インド国民会議派政権の多数派形成のためインド共産党(ソ連派)支持を求めた。ベトナム戦争からの脱出を図る米ニクソン政権がパキスタンや中国に接近し米中パ枢軸が形成された時代だ。1969年、国民会議派が分裂し、インディラ・ガンディー首相派をインド共産党(ソ連派)が支持して政権が維持された。
新型コロナウイルスの感染が拡大して以降、この二年間でプーチン大統領が外国に出たのは、2021年6月にスイスでのバイデン米大統領との会談、2022年2月の北京冬季五輪開会式出席を除けば、2021年12月のインドしかない。それほどインドはロシアにとって重要な国なのだ。しかし、安保理常任理事国入りを目指す大国インドが棄権という「沈黙」戦略をとり続けることがいつまで許されるのか。冷戦期とは異なり、インドは経済力ではロシアをすでに上回りパワーバランスの地図も塗り替わっている。インドは防衛装備の調達先をヨーロッパやアメリカに多国籍化してきており、ロシアもパキスタンへの武器売却に動いている孤立を深めるロシアが中国への依存を強めすぎることになるのも中国と国境紛争を抱えるインドとしては心配なところだ。さらに中立といってもウクライナの事案ではロシアの側にいるのはベラルーシ、北朝鮮、シリアといった国しかない。中立は間ではあっても真ん中ではない。
領土保全と主権を大義に中国と対立するインドがウクライナ侵攻への態度表明を棄権するのはインドにとっては中国に対抗する理屈を失うことにもなりかねない。アメリカもロシアと結ぶインドを黙認してきたのはあくまで中国の対抗勢力としての位置づけがあってのことだがウクライナ侵攻は大きな前提となる国際政治のパラダイムを塗り替えようとしている。インドはシン前首相が2007年、非同盟や全方位外交を包含する概念として「戦略的自律」を打ち出している。アメリカに接近はするものの自国の外交の自立性は崩さないと内外に宣言した。「非同盟2.0」で大国をめざす方向性が示された。その内実はインドの国益にかなった二国間の連携を個別に深めることに他ならない。古い印ソ関係への回帰ではなく、経済的なグローバル化を交えた地域大国としての戦略的選択がインドには求められている。その中をどのような進路を選択するのか、民主主義陣営と権威主義国グループの間で揺れながらインドの進む先は世界のリアルが進む先でもある。
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