インド軍機撃墜

 インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方で二〇一九年二月、パキスタンのイスラム過激派組織の自爆攻撃でインドの治安部隊四十人が死亡したのをきっかけに、両国の軍事行動がエスカレートした。インド空軍機が停戦ラインを越えたのは一九七一年以来初めてのことで、互いに核兵器を保有する両国の危険な報復の連鎖にアメリカや中国など関係各国が懸念を表明した。

(バステロ)
 対立のきっかけはインドが実効支配するジャム・カシミール州のプルワマで二月十四日、インド兵が乗ったバスに車が突っ込んで爆発し、四十人が死亡した。バスに突っ込んだ車には三五〇キロの爆発物が積まれていたとされる。カシミール地方のパキスタン領有を求めるイスラム過激派組織「ジャイシェ・ムハマド(ムハンマドの軍隊)」が犯行声明を出した。

(空爆)
 これに対しインド軍は二六日、パキスタン領内のバラコットにある武装組織の拠点を爆撃し、多くのテロリストを殺害したと発表した。インド軍が空爆したと主張するのは、パキスタンの武装組織「ジャイシェ・ムハマド」の拠点だ。この組織は二〇〇一年のインド国会議事堂襲撃事件の関与が疑われている。バスを運転していた男が「ムハンマドの軍隊」に入っていたことを確認しているとインド側は指摘している。

(撃墜)
 翌日(二七日)には、両軍の戦闘機による空中戦にまで発展した。パキスタン軍は、実効支配線付近の上空でインド軍機二機をパキスタン軍機が撃ち落としたと発表した。まずパキスタン側が空爆を実施。軍事施設ではない対象への人的被害を避けたと説明。衝突を受けてインド側から飛来したインド軍機六機のうち停戦ラインを越えてパキスタン上空に入ってきた二機を撃墜したという。このうち一機はインド側に墜落して炎上。残り一機はパキスタン側に墜落して脱出した操縦士二人が拘束された。
 一方、インド外務省は、パキスタン軍の戦闘機一機を撃墜したと発表。当初のパキスタン機の攻撃はインド側の軍事施設を狙ったものだったと主張。インド空軍機が反撃し、パキスタン軍機一機を撃墜したとした。パキスタン側は自国軍機の被害について明らかにしなかった。

(国内事情)インドのモディ首相は総選挙を控え弱腰の対応を見せるわけにはいかない。一方の、パキスタンのカーン首相は、対話によって解決したいと言葉の上では丁寧に述べたがテレビで演説するその顔は緊張に満ち溢れていた。パキスタンでは二〇一八年の総選挙で軍部寄りのカーン政権が誕生し軍の発言力が強まっていた。パキスタンは拘束したインド軍操縦士の取り調べの様子とされる動画を公表したがインド側は負傷した兵士をさらし者にするのは国際人道法違反だと反発した。その後、パキスタンはパイロットを解放し、両国の国境の町、ワガの検問所でインド側に身柄を引き渡した。
 

(まさかはある)
 インドとパキスタンの両国が領有権争いが続くカシミールでは、両軍が実効支配線を挟んで睨み会いを続けている。両国の相次ぐ核実験の後、カシミールに展開するインド軍は三十万人近くに増強された。一九九九年のカルギル危機の現場を取材した経験から言えるのは、「まさか」はある、ということだ。
 射程三十キロ。カシミール地方のインド陸軍に配備された大砲からは、一日百発の砲弾が発射されていた。カルギル地区は標高五千メートル級の山々がつらなる山岳地帯。急峻な山並みが人を寄せ付けず分断独立以降長きにわたって実効支配線を固定してきた。インド軍部隊は、山裾に沿って駐屯していた。高い山に遮られ、パキスタン側の攻撃対象を直接見ることはできない。山越えの砲撃線で重要で大事なのは砲弾の着弾位置を目視で確認できる山の稜線上の拠点だ。その争奪線が続いていた。
 補給物資や兵士は険しい山道を通って移動。インド軍の歩兵は、スノーシューズを履き、空気の薄い山岳戦で鍛えた特殊部隊が配置されていた。一方、パキスタン側からの砲撃も続いていた。破壊されたインド軍建物には大きな穴が空き、インド軍は弾薬を積むロバが砲撃部隊の列に加わって移動していた。インド軍の前線本部は、インド軍が空爆を開始した直後、パキスタン側からの反撃で破壊されていた。その目の前の国道も被害を受け物資の補給が難しくなっていた。
 常識的に考えるとありえないことでも、偶発的に起きる危険はある。それを身をもって体験した。まさか、はある。極度の緊張と情報の不足が、思わぬ方向に流れを変えていくことがある、と強く実感した。独立以来、対立を続けるインドとパキスタン。今もカシミールは、両国の対立が時に火を噴く戦闘の最前線であることに変わりはない。 ###

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