クリケットと印パ対立

 
インドのスポーツといえばクリケット。そもそもどんなスポーツだろうか。ピッチャーとバッターがいて、攻撃側のバッターは、木のバットでピッチャーの球を打ち返し、守備の選手は撃った球を取る、攻守が入れ替わるイニングがあり、得点の多い方が勝利する。このあたりまでは野球と同じ。世界中に一億五千万人と野球の五倍の競技人口がいて、サッカーに次いで人気のあるスポーツとなっている。
 バットは野球と違い板状のバットを用い、ボールは、コルクの芯にウール糸を巻いて皮で包んだものを選手は素手でキャッチする。紳士のスポーツなので制服の規定は厳しく、必ず白い襟付きのユニフォームを着用する。両チームが十一人でプレー。十回アウトの二イニングで合計点の多い方が勝ちにになる。
 バッターは、飛んでいった玉が返球されるまでの間に長方形のフィールドを往復し、その回数が得点となる。場外まで飛んだ場合のホームランもあり、エンタイトルツーベースのようなものもあるが、野球と違うのは、ピッチャーの方に打ち返すだけでなく、三六〇度、野球ならファウルやチップとなる方向に打ち出された打球もすべて有効打となることだ。ピッチャーが助走をつけて投げるのも特徴的だ。
 ボールと板があればすぐにでき、整備された競技場でなくとも広場ですぐできる。貧困層の多いインドでは恰好の若者の娯楽スポーツで、今も公園などで遊ぶ子どもよく見かける。インドのクリケット選手は子どもたちの憧憬の的で、貧困の中から高収入のスター選手を夢見る子どもたちは多い。
 プロクリケット選手にはメジャーリーグのプロ野球選手よりも高い年棒で活躍している選手も多い。アメリカの雑誌「フォーブス」の世界クリケット選手年収番付では上位十位のうち六人がインド人
東芝は「クリケットの神」といわれるテンドゥルカール選手を広告に起用し売り上げを伸ばした。影響力は絶大だ。ムンバイ出身のスター・バッツマンのサチン・ラメシュ・テンドルカールは。パドマ・ビブーシャン賞やラジブ・ガンディー・ケール・ラトナ賞などインドの国民栄誉賞にあたる評価を受けている。日本の野球マンガ作品『巨人の星』はインドではクリケットに置き換えて制作された。大リーグボール養成ギブスを使って、ライバルとの闘いに臨む。テンドルカールは、星飛雄馬にあたる主人公のスーリヤが入団するムンバイ・チャンピオンズの主将サミールのモデルになった。インド版『巨人の星』のアニメ「スーラジ ザ・ライジングスター」は現地で大きな話題となった。
 クリケットはインドではテレビやネットの最強のスポーツ・コンテンツでもある。イギリスのサッカー「プレミアリーグ」、アメリカのバスケットボール以上の人気がある。ペプシコーラの「ペプシコ」や、スズキやホンダといった日系企業もスポンサーとなっている。インドで商売をする上でクリケットは避けて通れない。スマートフォンによるスポーツ観戦が普及し、試合の映像をみながら応援メッセージをアップするという新しい市場の拡大が見込まれている。視聴者を長時間くぎ付けにして、大量の消費者を囲い込めるコンテンツとしてフェイスブックやアマゾンやツイッターといったネット大手も放映権の獲得に関心を示している。日本は、ソニーがクリケットのテレビ中継の放映権を得るためにインドのテレビネットワークを買収したが、放映権が高騰し、継続して契約を維持することができなかった。競争に勝ったのは、アメリカの21世紀フォックス創業者のルパート・マードック氏が設立した現地メディア大手「スター・インディア」。二〇一八年からの五年でネット放映を含む権利を、三千億円近い過去最高額で落札した。
 人気の秘密は、反植民地感情がある。もともとイギリスの上流階級がクラブなどを作って楽しむスポーツとして発展した。長い試合の合間にはランチやティータイムもある優雅なスポーツだった。インドでは、植民地時代、圧倒的な武力を持つ英国をクリケットなら打ち負かすことができた。クリケットは自尊心とナショナリズムを満足させるものだった。
 クリケットを題材にした映画もある。年貢の免除を賭けてイギリス軍将校チームにクリケットで挑んだ村人たちを描いた映画「ラガーン(年貢)」は、一番好きな映画に挙げるインド人も多い。干ばつにもかかわらず、重く課せられる年貢ラガーンに苦しむ農民に、傲慢なイギリス軍青年将校がクリケットの試合を持ちかける。農民が勝てば年貢は帳消し、ただし、負ければ三倍の量を徴収するというものだ。ルールも判らない状況から選手を集め、練習を続ける村の青年ブバンをアーミル・カーンが演じた。
 スポーツの人気は、ナショナリズムを思わぬほうに向かわせたりすることもある。 
 冷戦が続く時代、パキスタン国境沿いでのインドの軍事演習が活発になっていた一九八七年二月に、当時のパキスタンのジアウル・ハク将軍が、ジャイプール市でのクリケットの試合を観戦するためにインドを訪問した。一九八七年といえばまだ、印ソ対米パという構造が続いていた時代だ。国境を挟んだ大規模な軍隊の移動があり、第四次印パ戦争の懸念も高まっていた。
 ラジブ・ガンディー首相と会談は成功し、第四次印パ戦争を回避できたと評価されている。緊迫した事態を回避したのは二度に渡る外務次官級の話し合いと、それに続く、ジアウル・ハク大統領のインド訪問だった。インドに対し一歩も譲歩できないという状況の中で、ハク大統領が訪印の口実としたのが、クリケット観戦だった。ハク大統領は、ラジブ・ガンディー首相と首脳会談を行い、衝突は回避された。日中のピンポン外交ならぬ、印パのクリケット外交だった。
 しかし、一九九一年には、カシミールで再び印パ両国の軍隊による小競り合いが続き、ヒンドゥー至上主義を掲げるグループがパキスタンとの試合に反対する運動をした。パキスタン側が「選手が精神的に強いプレッシャーを受け、試合ができる状態にない」との声明を発表して無期延期になった。ヒンドゥー教の過激派組織のシブ・セナの妨害活動だった。シブ・セナというのは、ヒンドゥー至上主義を唱える政党。昔ムガル帝国と戦ったマラータ国王のシヴァ・ジーの軍隊という意味。シブ・セナのトレードマークはヒンドゥーの神、シヴァが武器とする先端が三つに分かれたヤス。シプ・セナは、イスラム教国のパキスタンを攻撃する過激な言動で知られている。
 一九九九年一月には、思いもよらないことが起きた。シブ・セナがクリケットのピッチを掘り下げ、パキスタンとの試合を物理的に行えないようにする妨害工作を行ったのだ。シブ・セナの約二十人の支持者がニューデリーのスタジアムに夜間に侵入し、芝のピッチを掘り起こした。現地で取材をしいた筆者は、「DIG?(掘る)」という単語の意味をすぐに理解できずに自分の耳を疑ったのを覚えている。その「犯行声明」でシブ・セナは、パキスタンのクリケット選手にインドでプレーさせるわけにはいかない、何としても阻止する。ゲームは敵ではなく、友人同士の間で行われるものだ。自分を破壊することに夢中になっている国とどうやって遊ぶことができる」との姿勢を示した。
 シブ・セナは、イスラム教徒の男優のシャールク・カーンの映画「My Name Is Khan」の上映を妨害するため、映画館を囲んだり、宣伝看板を壊したりする示威行動に出たこともある。シャールク・カーンは、「カーン」という名前が示すようにイスラム教徒だ。俳優業で得た収入を背景に、クリケットチーム「コルカタ・ナイトライダーズ」のオーナーとなってる。
 事件があった二〇〇八年は、インドにクリケットのプロリーグ「IPL(インディア・プレミアム・リーグ」が発足した年だったが、ムンバイで同時多発テロが発生した年でもあった。パキスタン人による犯行だとインド政府は非難し、印パ間が急速に悪化した。シャールク・カーンが「パキスタンは良き隣人だから自分のチームにチームに空きがあったパキスタンの選手を採用したいと発言し、シブ・セナを刺激することになった。
 クリケットの人気はパキスタンでも高い。イギリスの植民地の過去、貧困層が夢を託せるスポーツという事情はインドと同じだ。二〇一八年に、パキスタンの首相になったのが、クリケットの選手として有名だったイムラン・カーン氏だ。ラホールの裕福な家庭に生まれ、パキスタンとイギリスのエリート学校で教育を受けた。親戚にはクリケット選手が何人かいて、イムラン・カーンもパキスタンとイギリスでクリケットをし、オックスフォード大学では、哲学、政治を学びながらクリケットを続けた。一九七一年から二〇年以上もパキスタン代表としてプレーし、一九八二年にナショナルチームのキャプテンに任命され、イムラン・カーン氏が四〇歳の時の一九九二年のワールドカップでは、パキスタン初の優勝を果たした。カーン氏は、篤志家として病院や大学の設立に資金を投じ、選手を引退後、政界入りし、パキスタン正義運動議長を務め下院議員に当選した。パキスタン正義運動は、泡沫政党だったがカーン氏の人気で、二〇一八年の総選挙では第一党となった。
 印パ緊張を受け、インドは五月にイングランドで開かれるクリケットのワールドカップのボイコットの可能性を示し、スポーツイベントに重い影を落としている。スポーツナショナリズムといってしまえば、それまでだが、民主主義とスポーツの関係を考えさせられる。
四年に一度開催されるクリケットのワールドカップの、ICCクリケット・ワールドカップは二〇二三年にインドが主催国となる。試合も政治も目が離せない。###

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