過去の首相に敬意を示すのは礼儀からなのか?【ナラシンハ・ラオの再評価】

「偉大な政治指導者であり学者でもあった」。モディ首相がナラシンハ・ラオに敬意を表した。モディ首相やインド人民党がラオ氏に敬意を表したのは初めてではない。死後、正当な名誉が与えられない問題を繰り返し提起している。インドの歴史の重大な分岐点で国を率いていた。
 2020年6月28日モディ首相はラオ氏の生誕記念日に国会で不正に対する反対の声を上げる最前線に留まったと述べた。毎月定例のラジオ放送であるマンキバートでのこと。ラオは10代頃から自由運動に参加し不正に対する声を上げ始めた。「ラオ氏は歴史をよく理解していた。彼のリーダーシップ能力のすべてが記憶に残る。生誕100周年にあたり彼の人生と考えについて可能な限り知るように努めてほしい」
 1991年の経済自由化政策の先駆けとして知られた元首相。ソーシャルメディアで賛辞が寄せられた。インドを経済回復の道に導いた経済改革のパイオニア。賢明な管理者で多面的な才能。学者、作家。有名なテルグ語の小説をヒンディー語に翻訳。大学レベルまでの教育言語として母国語を推薦した。
 第12代首相。日本ではナラシマ・ラオ首相とも表記される。インド南部のハイデラバード藩王国(テランガナ州)に生まれる。国見会議派に所属しアンドラ・プラデシュ州首相を務める。1977年下院議員選挙に当選以後、インディラ・ガンディー、ラジブ・ガンディー政権で内務、国防、外務相。1991年に引退を表明したが総選挙中に国民会議派総裁のラジブ・ガンディー元首相が暗殺され、急遽、後継総裁に選出され総選挙後、首相に就任。1996年まで務めた。改革派のマンモハン・シンを財務大臣に抜擢し国民会議派の社会主義的色彩の経済政策を転換し、外資導入や経済の自由化など経済改革を推進した。1991年の経済改革。インドは世界有数のIT大国となった。中国で改革開放を推し進めた鄧小平から着想を得たといわれる。
 当時の日本の報道では汚職が目立った。インドの腐敗の象徴のような描かれ方。首相在任中に内閣不信任案の可決阻止を目的に複数の議員に資金を渡した疑いで買収などで起訴された。無罪判決を勝ち取るが格差が拡大し貧困層の支持が離れ1996年総選挙で大敗。2004年に心臓発作で倒れ死去。83歳。

 変化の時のリーダー像。ネルー・ガンディー王朝の血族の既得権益ではない政治家。モディ氏の賞賛が読み取れる。1991年から30年。どんなパラダイム・チェンジがあるのだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください