なぜアンダマン・ニコバルの光海底ケーブルの接続が画期的なことなのか?【日本軍も駐留したインド洋の要衝の歴史を思う】

インド政府、南部チェンナイとアンダマン・ニコバル諸島をつなぐ光海底ケーブルが完成しデータ伝送が始まったと発表した。2020年8月10日、モディ首相がビデオ会議で接続完了を宣言。
https://www.nna.jp/news/show/2079667?id=2079667

  海底光ファイバーケーブルの発足だ。海底ケーブルはポートブレアを各地と繋ぐ。海底ケーブルの発足は、高速で信頼性の高いモバイルおよび固定電話通信サービスによる高速ブロードバンド接続を提供する。ケーブルは地域経済を後押しし、電子ガバナンス、遠隔医療、遠隔教育の提供も強化する。チェンナイとポートブレア間で2 x 200ギガビット/秒(Gbps)、ポートブレアと他のアイランド間で2 x 100 Gbpsの帯域幅を提供。通信省の電気通信局の下にあるユニバーサルサービス義務基金(USOF)を通じてインド政府から資金提供。

 アンダマン・ニコバル諸島はインド洋のベンガル湾南部に位置するインドの連邦直轄領。北緯10度線の北側がアンダマン諸島、南側がニコバル諸島。主都はポートブレア。マラッカ海峡への航路を扼する位置にあり、防衛戦略上の要地。原住民保護政策でインド政府は外国人の立ち入りを制限している。
 アンダマンは、マレー語でヒンドゥー教のハヌマーン神を意味するHandumanに由来する。ニコバルという名前は、13世紀のマルコ・ポーロによる、ニコベラン(『裸』の意味)という記述が元。合わせて5部族の先住民がおり、計800人ほどが石器時代と同様の狩猟採集生活を行っている。植民地時代イギリスはアンダマン諸島を流刑地とし反イギリス的な活動を行った政治犯などを送り込んだ。ポートブレアの独房監獄は英領インドの「シベリア」。原住民たちはイギリスの統治のなかでも狩猟生活などにより自給自足の生活。流刑民及びその子孫は土木工事や木材生産に従事。米や麦などの主要穀物が生産されることは無かった。
 第二次世界大戦に入ると日本軍がポートブレアに上陸(1942年3月23日)。日本はアンダマン・ニコバル諸島をスバス・チャンドラ・ボースによる自由インド仮政府の統治下に置いた。イギリスは東南アジア方面への反攻への足がかりとするため諸島の奪還を企画、海上封鎖を行い物資の補給を途絶させた。農業生産が行われていない島内では餓死者を出す事態となり、戦後、数十名の日本軍関係者が責任を負わされ、BC級戦犯としてシンガポールにて処刑されている。2004年12月26日、津波で壊滅的な打撃を受けた7,000人以上が死亡。

 アンダマン・ニコバル諸島には「慰安所」が設置され、性労働をする「慰安婦」(いわゆる従軍慰安婦)が送られた。アンダマン島には慰安所が軍直営であったことを示す第12特別根拠地隊司令部「海軍慰安所利用内規」が残っているほか、カーニコバル島には陸軍の慰安所がチュチュッチャとパーカの2ヵ所にあり、インドネシア人女性10余名がいたこと、海軍の慰安所がムースにあり、日本人女性約10名がいたことが兵士の回顧録に記されている。
 200Gbps、隔世の感がある。

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