カマラ・ハリスだけではない米印のつながり【バイデンという名はアイルランドに少ない】
アメリカの次期大統領のバイデン氏が副大統領だった2013年、ムンバイを訪れた際にインドとのつながりについて語っていた。1972年に上院議員に初当選した後、インドの「バイデン氏」からつながりを示唆する手紙を受け取ったとのこと。2人に共通する祖先が「1700年代に東インド貿易会社で働いていた」。チェンナイには、1789年生まれのイギリスの船長、クリストファー・バイデン(Christopher Biden)の銘がある。セントジョージ大聖堂。ジョー・バイデンとのつながりは不明だが、手紙の主はナグプールのバイデン家のレスリーさんではないかという見方がある。
オンラインの「苗字苑」という苗字の語源を調べたサイトによると、バイデンという苗字は、古いドイツ人男名Bado、Badinに由来するといわれる。b?tan「待つ、望む」,bitten「願う、祈る」という意味。もう一つの由来は仏南部の小地名ビドン(Bidon)に由来とも。戦いの地の意味。イギリスの「ボタン作り職人」のButtonの異形ともいわれる。
アメリカの政治家ジョセフ・ロビネット “ジョー” バイデン・ジュニア(Joseph Robinette “Joe” Biden, Jr.の父方の直系の先祖は5代前のウィリアム(William Biden)にまでしか遡る事が出来ない。ウィリアムは1790~1800 年の間にイングランドのどこかで生まれ、後に渡米とされる。
以下、引用。バイデン:”どこでも一般的ではありません。私はこの件に関するご指摘を手紙でいくつか受け取っております。例えばですね、 もう退官されましたが、70年代にインドに赴任していたある英国外交官の方が、もし私たちに関係があるのなら知らせてほしいと、 こんな風に言ってきています。彼は自分の先祖を1668年に英リヴァプールに住んでいたジョゼフ・バイデン(Joseph Biden)と エミリー・バイデン(Emily Biden)まで遡りました。彼はこの二人はドイツかフランスから移住してきたユグノーではないかと考えています。 ”
バイデン姓はアイルランドには少ない。
カマラ・ハリスの父親のドナルド・ハリスはジャマイカからカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得するためアメリカに移民した。夫婦は1971年に離婚。経済学の博士号取得を目指していたドナルドは、学校外で学生たちにアメリカと英国の植民地だった自国ジャマイカは、少数の白人が地元生まれの黒人エリートを支えているという類似点があると話したとのこと。英国植民地政府から名誉ある奨学金をもらってUCバークレーで学びたいと希望する学生は珍しかったという。奨学生のほとんどは英国の大学に進んだ。アメリカは人種的にも民族的にも複雑な人々が混じり合い生き生きと力強く発展している社会に思えた。
『The New York Times』によると、2人の子ども、カマラとマヤが生まれた後、ドナルドはウィスコンシン大学で教鞭をとる仕事を得たことに伴い関係が微妙になり妻のシャマラが1972年離婚を申請。彼女は娘たちをカリフォルニアで育てた。
2018年の回顧録『The Truths We Hold』で、カマラは「両親は深く愛し合っていたが、水と油のような関係になったようだった。もう少し年をとっていれば、もう少し精神的に成熟していれば、結婚生活は続いていたかもしれない。だが、彼らは若すぎた。父は母にとって初めてのボーイフレンドだったのだ」ドナルドは家庭裁判所での親権裁判で負けたが子どもたちへの愛も、父としての責任を果たすことも決して諦めなかったとしている。 カマラは選挙キャンペーン中は父のことをあまり話さず、ジャマイカ出身であることとマリファナを吸うことをジョークにしたいいかたをした。民主党大統領候補者だった予備選の時に、父娘の緊張関係は険悪に。
インド出身の経済学者メグナフド・デサイ男爵はディナーパーティの前に夫妻に会ったことを覚えている。彼女は「激烈で急進的だったが、マルクス主義者ではなく、ドナルドは急進的な政治の経済学にかなり興味を持っていたが、穏やかで我慢強い論者だったと『The New York Times』に語っている。
ウィスコンシン大学を離れた後、ドナルドはスタンフォード大学経済学名誉教授に就任。『The Stanford Daily』の1976年の記事によると、スタンフォード大学でのドナルドは学生たちに人気があったが、「カリスマすぎる」とか「マルクス主義の研究者」、あるいは「古典主義経済から道を間違える学生たちを率いる笛吹き役」などという批判もあった。カマラが民主党副大統領候補に選ばれたことについてもほとんど沈黙を続けている。
名前だけでもいろいろ考えることができる。