ラニジカントが来年1月に新党を立ち上げ政界入り【タミルナドゥの政治が映画のよう】

ラジニカントは、2021年1月に政党を立ち上げ、タミル・ナードゥ州議会選挙に出馬すると発表した。タミル語でのツイートで、ラジニカントは次のように述べた。「次の選挙では、国民の支持を得て大きな勝利を収める。タミル・ナドゥ州では、透明性と正直さをもたらす精神的な政治が出現する。腐敗のない政治であり、カーストや宗教的偏見のない政治だ」彼はさらに「奇跡が起こるだろう」と言った。映画のセリフのように聞こえてしまうのだが、本当のことが起きた。ヒンドゥーなどインド各紙が伝えている。

 ラジニカントはタミル語映画で活動する俳優、映画プロデューサー、脚本家。インド政府からはパドマ・ブーシャン勲章を授与されている。2020年12月12日に70歳になる。タミル語映画におけるラジニカントの人気は絶大。1995年に出演した『バーシャ! 踊る夕陽のビッグボス』の記録的ヒット以降、「神のような」地位を築いてきた。植木等や森繁久弥と比較されることもあるが、日本の俳優が崇拝されることはあまりない。日本はコメディアンという語感がある。
 1992年、ラジニカーントは帰宅途中に警官に車を止められ「ジャヤラリターの車列が通過するまで30分間は通れない」と説明され、反発した彼は車を降りて街路灯に寄りかかりタバコを吸い始め、すぐに周囲に群衆が集まり車列が通過できなくなったとの話が有名。ラジニカントは「私は彼女が通り過ぎるのを待っている。私は構わない」と返答したという。こちらも映画のような話。ジャヤラリタはインドの女優でタミルナドゥの政治のトップ、女王を続けた。
 ジャヤラリターが率いる全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党(AIADMK)と対立するドラーヴィダ進歩党(DMK)とタミル州国民会議(TMC)の政党連合を公然と支持。2004年にはインド人民党に投票する意思を表明。2016年にジャヤラリターが州首相在任中に病死し、ラジニカントが政界進出がささやかれた。
 2017年12月31日にラジニカーントは政界進出の意思と新党結成を表明。2021年に実施されるタミル・ナードゥ州議会選挙に全234選挙区から候補者を出馬させることを発表した。年を取り過ぎているとして州首相の地位を望んでいない旨を語っている。
 2002年にカルナータカ州政府がタミル・ナードゥ州へのカーヴィリ川の水の放出を止めたことに抗議するため1日間のハンガーストライキを行い、インドの河川を連結する計画に1000万ルピー寄付。インド人民党の首相バジパイと面会して計画への支持を表明した。
 多くの場合、彼はインド人民党(BJP)の支持者であると見られてきた。しかしツイートの中で、彼の新しい組織の指導原則の1つとして世俗主義に言及している。(DMK)と(AIADMK)の2大政党へのラジニカント氏の参入は大きな影響を及ぼす。

 タミル・ナードゥ州ではインド独立以来、民族主義政党が主な支持基盤となる非識字層の中・下層階級に対し、読み書きを必要としないメディアである映画を利用した政治宣伝を行ってきた。映画界から政界入りが多い。州首相を務めたM・G・ラーマチャンディランやジャヤラリターも元々は映画スター。
 M・カルナーニディは、タミル人の政治家、文学者。ドラーヴィダ進歩党の創立者の一人で党首を務めた。州首相を非連続ながら合計で5期務めた。多くの著作や劇作などがあることから「学芸の智者」とも呼ばれる。初めは、タミル語映画の脚本家として活動した。歴史劇や神話劇を多く作り、ドラヴィダ人の復権を訴える内容を持たせていた。演説がうまい。

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