ヘッセの書いた「シッダールタ」

ゴータマ・シッダールタの伝記ではない。ヘッセ流の小説。若きシッダールタは沙門として修行。修行法を信じず在家の生活に入る。遊女と付き合い商売を始める。沙門時代を振り返り、遊女とその間にできた子供に会う。沙門時代の友人と再会する物語。出家・在家どちらにも定着できなかった男性の葛藤。両方の世界を体験したがために混沌に入る。外から見た仏陀の世界観。釈迦は脇役として登場。
川の渡し守となったシッダールタは、友人ゴーヴィンダに自らの思想を語る。「私もおん身も罪びとである」「永遠の生をみずからの中に持っている(P150)」。最後にキリスト教に戻る罪の意識。仏教は諸行無常、無明無知。

『光あるうち光の中を歩め』は、帝政ロシアの小説家レフ・トルストイの短編小説。複数の人々が自分たちの人生を振り返る。参加者の誰一人満足した人生を送っていないことが判明。キリスト教に倣った生活も送れない。迷いの中の人間。

ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse, 1877年7月2日 – 1962年8月9日)は、ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる。20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。十代で読んだ。南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。ヘッセは、風景や蝶々などの水彩画もよくした。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。

アマゾンレビューより抜粋。

正しく目ざめうるためには、絶望を体験し、あらゆる考えの中で一番馬鹿げた考え、つまり自殺のかんがえにまで転落しなければならなかった。この道はたわけている。らせん形を描いている(p103)。

子供のいない幸福と喜びより、愛の悩みと心配のほうが好ましかった(p125)。

おん身の愛によって彼を縛っていはしないか。おん身は彼に毎日恥ずかしい思いをさせてはいないか。おん身の親切と忍耐によって彼をいっそう苦しめていはしないか(p127)。
みずから自分の道を見いだすことに対し、いかなる父が、いかなる師が守りえたろうか(p128)。

大いに変わらなければならない人、さまざまの衣服をまとわなければならない人が少なくない。私はそういう人のひとりだ(p147)。

世界は不完全ではない。完全へのゆるやかな道をたどっているのでもない。世界は瞬間瞬間に完全なのだ。あらゆる罪はすでに慈悲をその中に持っている(p150)。

物が幻影であるとかないとか言うのなら、私も幻影だ(p154)。

フランスにおける仏教もある。(引用 金﨑, 春幸 2015)。19世紀に至るまでのフランスにおいて仏教がどのように捉えられていたのか。インドでは4世紀ごろから仏教は次第に衰退し,12世紀ごろにほぼ消滅。17世紀から18世紀にかけてインドに進出したフランス人やイギリス人にとって仏教はすでに滅びた存在であり,仏教の経典もインドには見当たらなかった。中国,日本,東南アジアなどに広まった仏教については,中世・ルネッサンス期の旅行者による旅行記や見聞録,また16世紀からはイエズス会を中心としたキリスト教布教活動における宣教師たちの報告書や書簡が,ヨーロッパの人々になにがしかの情報をもたらした。しかし,さまざまな情報が錯綜する状況で,受け手の側が,仏教について一貫性をもった理解をすることは不可能と言ってよかった。
18世紀にディドロとダランベールらによって編纂された『百科全書』では« Bouddhisme »や« Bouddha »は見出しの項目としては存在せず,アジアやインドにかかわるいくつかの項目に仏教に関する情報が分散している。

フローベール記念館の遺品のなかに小さなブッダの像がある。フローベールの作品には仏像はあらわれないものの,1874年に刊行された『聖アントワーヌの誘惑』において神々の列のなかにブッダが登場するし,遺作の『ブヴァールとペキュシェ』ではペキュシェはシャヴィニョルの人々の前で自分は「仏教徒になる」と宣言する。一種の東洋趣味を読み取ることもできるかもしれない。

仏教という宗教を通じて、しかしそれは、あくまで背景の一端として、ひとりの人間の精神描写を美しい風景と共に見ることのできる至極の作品。ヘッセが自らの思想をシッダールタという人物の生涯に仮託して述べたもの。西洋人ヘッセの目を通した東洋的思想がちりばめられ、独特のオリエンタリズムを醸成している。

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