アフガニスタンを忘れない②

アフガニスタンでは1989年、侵攻していた当時のソ連軍が撤退。その結果、内戦の時代に入り、法や秩序が失われる中で、イスラム原理主義勢力のタリバンが首都カブールを含むほぼ全土を実効支配した。国際社会と隔絶された状況の中でテロ組織とのつながりを深めていった。

アフガニスタンはもともと農業国だ。復興支援会議の際に来日したバルマック農村復興開発相と面会した際に大臣は「ゆっくりでも確実な進歩を実感し期待できれば我々アフガニスタン人は我慢強く前に進んでいくことができる」と話していた。アフガニスタンは東アフリカや北朝鮮とともに国民の多くが食糧危機の状態にある。ドライフルーツなどを輸出する農業国で国民の大半が農業に従事している。しかし小麦も米も輸入と援助に頼らざるを得ない。バルマック大臣は2025年には農産物の収穫を4倍にして農村部の発展と食料不足の解消につなげたいと希望を語った。

日本はアフガニスタンで、米作りを普及してきた。乾燥した気候のアフガニスタンでは稲作が行える場所は多くない。しかし、カロリーが高く保存に向いた米は小麦に次ぐ主食。よい種を選び、等間隔に苗を植え、雑草を取り除き、収穫を皆で祝う。きめの細かい日本式の稲作が普及した場所では収穫は伸びた。人心を安定させるためには食糧生産の基盤をつくることが何より大切だ。奪い合い破壊するのではなく、共同作業で育てる文化。それはアフガニスタンで再び増えているケシの栽培を防ぐことにもつながる。稲作だけではない。まじめに働いていれば貧しくとも安定した生活を送れる「平和の配当」を実感できる時の姿を取り戻すための支援が重要だ。

アフガニスタンで親しみを込めてカカ・ムラトと呼ばれた中村哲さんは、医師としてハンセン病を中心とする医療活動に従事した後、水があれば多くの病気を防ぎ農民が暮らしていける基盤が出きると川と砂漠を結ぶ用水路を作った。2019年、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバードでにて武装勢力に銃撃され死去した。追悼式典では大統領のアシュラフ・ガニー自らが棺を担いだ。

「まだまだ忘れずに支援をしますから、どうか頑張って下さい」。2012年に日本で開催された復興支援会議。採択された東京宣言で特に強調されたのがアフガニスタンを再びテロ活動を行う者の拠点としてはならないという国際社会の決意だった。惨状を放置していると世界が大きな痛手を追うことになるという過去の教訓。長くアフガニスタンを見続けてきた元国連アフガニスタン特別代表ラクダル・ブラヒミ氏は「アフガニスタンは貧しい国で過去に多くの紛争があった。最も大切なことは治安を回復し平和を再構築することだ」と私に話した。