アフガニスタンを忘れない③

非対称ではなく対称

同時多発テロ事件の直後に、パキスタン国境の町クエッタでイスラム教の神学校「マドラサ」を訪れた。当時、タリバン政権は、アルカイダを率いるビンラディンの身柄の引き渡しに応じず、パキスタンからは多くのイスラム教徒たちが同胞を守るために義勇兵としてアフガニスタンに向かおうとしていた。マドラサの狭い教室には、みかん箱のような机の前に教師が一人いて、それを取り囲む子供たちにイスラム世界を外界から守るための聖戦を説く。教師は、ソビエトの軍事侵攻と戦ったイスラム戦士。眉間には傷跡があった。子供たちの多くは、父親が戦場での実戦経験を持っていて、自分も父親と同じようにイスラムのために命を捧げるのが夢だと語った。

やがてアメリカ軍の空爆が始まり、アフガニスタンの一部の地域は焦土と化した。アメリカの空爆は、多くの子供たちからかけがえのない親を奪った。故郷には、思い出したくない記憶しか残されていない。「この子たちは絶対アメリカに仕返しをしたいと思うでしょうね」同行していたカメラマンがそうつぶやいた。そのカメラマンの言葉を、広瀬氏は一年後、ペシャワールのマドラサで確認する。子供が歌っていたのはビンラディンを称える歌だった。カディルという名の十五歳の少年は、アメリカこそがテロリストだと歌った。カディルの兄は、アフガニスタンに聖戦に向かい命を落としていた。歌は、息子を失った父親が、弟のカディルに教えたものだった。子供にとって、ビンラディンはアメリカと戦い、ブッシュを殺すイスラムの英雄でしかなかった。カディルは世界の多くがテロリストと非難するビンラディンを好きだと歌った。コーランを学ぶときと同じように、体を前後に揺らしながら、カディルは何度もその歌を歌った。
「神がビンラディンを祝福する/私の大切なビンラディン/ビンラディンはイスラムの子ビンラディンの道は正しく/アルカイダは黄金の花/アメリカとロシアと戦うイスラムの守り手」

同じように学校で寝泊りする子供たちが、クエッタでは、聖戦に向かう戦士であり、ペシャワールでは親を失った犠牲者であった。犠牲者と戦士は、相反するもののようにも見えるが、アメリカに対する憎しみという点では共通していた。

もう一つ、対称と思ったことがある。子どもの対称とは別の「兵士」の対称だ。
アメリカが誇る精鋭特殊部隊ネイビー・シールズ隊員のマーカス・ラトレル氏が著した「アフガン、たった一人の生還」(亜紀書房)では、アメリカ側の戦う理由と苦悩が追体験できる。
2005年6月に行われた、タリバンのリーダーの一人アフマド・シャーの捕捉及び殺害を任務とした「レッド・ウィング作戦」。山中でヤギ飼いの民間人3人に遭遇し、拘束した3人をどう処置するか、特殊部隊は電波状態が悪く前線基地との連絡が取れない中、作戦を中止し、タリバンとの交戦を覚悟の上で現地人を解放する。しかし彼らを解放したことで、200人のタリバン兵士に包囲されるという極限状態に陥る。

本書を原作として制作された映画「ローン・サバイバー」では、精鋭部隊の4名はライフルを手に徹底的に戦う。だが機関銃、RPGで武装するタリバン側の猛烈な攻撃の前に次々に被弾、負傷し、チームの3名が死亡。絶体絶命の状況下で、唯一の生き残りとなったのが著者のマーカス・ラトレル氏。過酷な訓練やタリバンとの壮絶な戦闘が真に迫る。

映画との違いもある。深手を負い、たった一人生き残ったマーカス・ラトレル一等兵曹は、現地人の親子に救われ、彼の村に匿われ救出される。映画「ローン・サバイバー」で描かれなかった、善良なアフガン人に匿われた後のことが詳細に描かれている。

映画とのもう一つの違いは、本書は逃走劇と救出劇、サバイバルをエンターテインメントとして見せるのではなく、多くの記述がアメリカ国内での特殊部隊の訓練に充てられていることだ。極限状態を生き抜く米軍兵士の作られ方が強い印象を残す。冒頭からしばらくは一人前の隊員になる為の過酷な訓練の話が延々と200ページ近く続く。睡眠不足等、人間が死なない程度の極限状態を計算して作り上げる訓練をする米海軍は凄まじい。

「(p13)私はけっしてやめない。苦境を耐え抜き、それを糧にする。私の国が私に、敵より肉体的に強靭で、精神的により強くあることを求める。倒されたなら、毎回起き上がる。仲間を守り、使命を完遂するため、最後の一オンスまで力を出し切る。私はけっして戦いから逃げない(ラトレル)」

米国側の「戦士」ラトレル氏とは直接会ったことがある。2メートル近い巨人かと思わせるほどの上背があり、ターミネーターのような冷たい目と、骨が突き出たごつごつした体が印象的な男。ラトレル氏は言う。「戦友たちに生きていて欲しかったという思いはある。しかし戦友たちは誇りある死を遂げた。交通事故で亡くなる、年老いて亡くなるという死に方もあるが、我々は戦士なので、仲間と共に戦って死にたいと思っている。黒と白に分けられないグレーゾーンで戦うものが戦争だ」。貴重な証言だ。

しかし、そこはかとない無力感を感じた。国のやることに疑問を持たず従い、国に命を捧げるのが当たり前という「愛国心」が漂っている。任務遂行のために、様々な理論武装をし、完璧な自己を肯定し、国を否定する弱い自分を否定する戦士。ムスリムの「戦士」とどこか似ている。世界は「非対称」といわれているが、実は戦士のレベルでは「対称」であると感じずにいられない。