港争い
コロンボ港
日本、インドそしてスリランカは、5月28日に、コロンボ港共同開発事業に関する協力覚書に署名した。スリランカ港湾局(Sri Lanka Port Authority, SLPA)が共同事業体の株式の51%を、日本とインドは合計49%を保有する。
コロンボ港は、スリランカで最大で取扱い量も最多。南西海岸沿いのケラニ川の河口部分に位置する。インド洋のシーレーン上に位置し、1980年代にクレーンやガントリーが導入された。世界最大規模の人工港で15 m以上の深さを持つ。2017年は20フィートコンテナ換算で621万個を取り扱った。欧州や中東、アフリカ地域とアジアを結ぶ海上物流の一大拠点。貨物の70%以上がインド発またはインド向け積み替え貨物であることから、インドにとって非常に重要な意味を持つが、ターミナルの一つは中国系企業によって運営されている。
中国からの巨額融資で整備されたスリランカ南部のハンバントタ港は融資返済の見通しが立たず、99年間にわたって港湾や周辺用地が中国に貸与されることが決まっている。コロンボ港の整備で、処理しきれなくなっている積み荷がハンバントタに流れるのを防ぐ。コンテナの取扱量を増やし、南アジア地域の物流を拡大する。中国の広域経済圏構想「一帯一路」への対抗措置といえる。
覚書は、コロンボ港の再開発を共同で行い世界的な貿易ルートの安定に貢献するとしている。
日本とインド、スリランカが協力して整備するのは港を拡張したコロンボ南港の東コンテナターミナルで水深を深くし大型コンテナ船が入港できるようにする。事業費の一部がODAが充てられる見通しで2019年度中にも工事に着手する方針。
コロンボ港にはスリランカ海軍の基地もある。日本のシーレーンに位置するインド洋沿岸国の港湾機能の向上は、海上保安能力、さらにタンカーや商船の安全確保につながる。太平洋からインドにまたがる地域で経済や安全保障の協力を進める日本政府の「自由で開かれたインド太平洋構想」の流れの中での国際協力だ。
コロンボは、スリランカの最大都市でかつでの首都。シンハラ語で「マンゴーの樹の茂る海岸」を意味する「Kola-amba-thota」がポルトガル語でのクリストファー・コロンブスの名であるコロンボに置換えられた。郊外に首都のスリジャヤワルダナプラコッテがある。コロンボは西部州の州都で、コロンボ県の県都。植民地風の建築物や旧跡に新興国都市の活気が混在する。化学工業、繊維産業、ガラス工業、皮革製品、家具、宝石などの大企業が本部を置く。南アジア最初のラジオ局のスリランカ放送協会(SLBC放送局)はコロンボにある。
(ラジオセイロン)は何度も訪れた。
16世紀初頭に香辛料交易を求めるポルトガル人が到来。彼らは1517年にコロンボのムスリム人を追放し、この地に要塞を建築した。ポルトガルは当時この地域を支配していたコッテ王国内の対立を利用して王国を併合、コロンボはポルトガル領セイロンの首都となった。フォート地区の要塞はその記憶をとどめている。1658年にはオランダに攻略されオランダ領セイロンの首都となり、1802年にイギリスの支配下でイギリス領セイロンの首都となった。イギリス統治下で都市開発が進められ、1866年には市議会 (Municipal Council) が設置された。イギリス領であったため、、第二次世界大戦中に、日本海軍艦載機がコロンボ空襲が行っている。インド洋大津波ではコロンボからゴールに向かっていた列車が丸ごと飲み込まれ史上最大の被害を出す列車災害となった。内戦の期間中には、タミル・イーラム解放のトラによる爆弾テロが続き、2019年にも大規模なテロが起きている。###