新大使

日本の新しい大使がインドに赴任した。外務省総合外交政策局長を務めた鈴木哲氏。壮行の集いには国会議員も次々に訪れ、インドとの交渉や調整という大任を委ねられた氏に激励の言葉が贈られた。その中にひときわ強い言葉で発破をかける人がいる。
「(鈴木大使を)こき使ってください!」
 エリート外交官の本人を目の前に“ぎりぎりまで働かせろ”などといえるのは、あの大御所しかいない。スズキ自動車の鈴木修会長。齢九十を目前に、正念場を迎えるインドとの関係強化のために喝を入れた形だ。
新大使は「鈴木さんのおかげで、現地ですぐに自分の名前を憶えてもらえるので助かる」と挨拶。新大使の人事は、10月2日のガンジー生誕の日が選ばれた。今年は150周年になる。日印の関係を拡大する責任がいかに重いものと感じているのか、終始にこやかな外交スマイルの中に緊張感が伝わってくる。
 同じスズキ氏からの期待に応えられるのか。新大使の初仕事は安倍首相の訪印である。韓国との関係が冷え込む中で日本の「準同盟国」としての存在感を増すインドとの安全保障協力が大きな焦点。日本側は自衛隊とインド軍が物資を融通する際の手続きを定めた協定(ACSA)の締結に持ち込みたい。日本は米豪印との4カ国の枠組みでインド太平洋での海洋安保協力を進めているが、この協定についてはインドとの締結が遅れている。地ならしの交渉を進めてきたが、番狂わせはないのか。インド側の選択を読み取る作業は容易な仕事ではない
 インド太平洋をめぐっては、海洋進出を続ける中国との関係がインドの選択に大きな影響と及ぼすからだ。
今年十月十一日。インドが習近平国家主席との首脳会談の舞台として選んだのは、シルクロードの海上交通経由地として栄えた南インドのチェンナイだった。国際空港に降り立った中国の最高首脳を出迎えたのは、地域に伝わる古典舞踊のバラタナティヤム。膝を開いて腰から下をひし形にする独特のポーズで、鈴を巻いた足首が歯切れのよいステップを踏む。その華やかな音楽の中を五星紅旗を掲げた公用車がゆっくりと進んだ。
 習主席は両国の交易の歴史に触れインドとの関係強化を訴え、インド側もモディ首相が東西交易の拠点の歴史を今に伝える港湾都市のヒンドゥー寺院で中国からの賓客をもてなした。言葉を交わす白シャツ姿の二人の首脳は、ともに高齢を感じさせず、強い日差しのアジアの市場を駆け回るエネルギッシュなビジネスマンのようにも見えた。
 この二人は去年、中国の武漢で会談。国境の山岳地帯近辺で両国軍が対峙した事態を受け関係の安定化を図った。今年の会談では貿易や投資など経済関係を深めることで一致。中国は、アメリカのトランプ大統領との貿易戦争が過熱する中で、巨額の貿易黒字が続いているインドとは関係を強化し背後の守りを固めておきたい。
 ただ中国にとっての黒字はインドにとっての赤字。中国製の格安スマホが急速に市場に拡大するなど、中国からの輸入品が購買力を増してきたインドの中間層の消費欲求の中心に食い込んでいる。一方でインドが得意の情報通信サービスを中国に売り込もうとしても、中国自身がIT先進国となった今、巨額の貿易赤字の解消は容易ではない。
 そんなインドの厳しい台所事情の影響を受けたのが日本だ。アジア太平洋の十六カ国で自由貿易を進めるRCEP(東アジア地域包括的経済連携)は、十一月の会合でインドが参加に消極的な姿勢に転じ、期待されていた年内妥結ができないという番狂わせとなった。日本は中印を含む巨大な貿易圏の成立に力を注ぎ、APEC(アジア太平洋経済協力)に入っていないインドにとっても、成長の成果を国外に伸ばす貴重な枠組みだったはずだったはずだ。
 自由化を進めれば中国からの輸入に歯止めがなくなり貿易赤字が拡大することになるとインドは踏んだのだろう。関税撤廃で農業など自国産業が打撃を受ければ国民の不満も高まることにもなる。折しもインドは景気の減速局面と指摘され失業も深刻な問題となっている。政権与党は五月の総選挙では圧勝したものの、その後の州議会選挙では議席を減らしている。インドの有権者は景気の動向に敏感に反応し、それが外交にも直接跳ね返ってくる。国際協調よりも今は自国の権益確保をインドは選択した。
 去年はインドのモディ首相が日本を訪問し、安倍首相が富士山麓の別荘でモディ氏をもてなした。インド側は、安倍首相を迎え入れる舞台にどんな場所を選ぶのだろうか。

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