法王

ローマ法王がインドを訪問したのは、1999年。平等を旨とするインドでキリスト教はカースト差別から逃れようとする人々の間にも広がった。2011年の国勢調査によると、インド国民に占めるキリスト教徒の割合は2.3%、約2800万人いる。当時、キリスト教の布教に反対するヒンドゥー団体を取材した。過激派「ヒンドゥー戦線」は、インドはヒンドゥー教徒の国、ヒンドゥーの名前を持つものは異国の神を崇拝してはならないという。聖職者が現金を渡して貧困層を改宗させていると非難している。教会を襲う事件も各地で起きている。
 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、1986年以来13年ぶりにインドを訪問したのは1999年11月5日。ナラヤナン大統領、バジパイ首相らインド側首脳、アジア各地のカトリック司教、他宗教の指導者らと会談。ネルー競技場で約七万人を集めたミサを催した。ヒンドゥー教過激派の妨害行動に備え厳戒態勢が敷かれ、私は遠目にしか見ることができなかったが、インドの大群衆を前に手を振る法王の姿は深く脳裏に残っている。法王は「紀元後の最初の千年はヨーロッパ、その後の千年はアメリカ大陸とアフリカでキリスト教が根付いた。三回目の千年紀はこの広大で活気ある(アジアの)大陸で布教の大きな成果が目撃できるだろう」と語った。アジアをローマ・カトリック教会の伝道活動の中心とすると宣言した。歴史を記録するのは記者の大切な仕事。書きがいに高揚した原稿だった。
 過激派グループは、法王の訪印に抗議するデモや集会を開いていた。約四百年前、カトリック教会がヒンドゥー教徒を迫害、強制改宗させたとして、法王に謝罪を求めた。大航海時代の布教は宗教の境界も超え摩擦や支配を生んだ。文明の交錯は、記録としてよりむしろ痛みの記憶として語り継がれている。
 2018年1月、タミルナドゥ州の教会で牧師が首をつった死体で発見された。ウッタルプラデシュ州ではクリスマスイブに、キリスト教徒42人が「平和を乱した」という理由で逮捕され、クリスマスが終わるまで拘束された。
 インド憲法は信仰の自由を保障している。しかし、インドの新聞には記者であるまえにヒンドゥー教徒である人物もいる。メディアの報道で憎悪や誤解は増幅される。インド内務省は2016年、2万のNGOが国外から資金提供を受ける許可を取り消した。取り消された組織の多くはキリスト教系。キリスト教の布教が目的された児童支援の国際NGOコンパッション・インターナショナルが資金源を断たれた。
 1999年1月9日、小渕恵三首相が、バチカン市国でローマ法王ヨハネ・パウロ二世と会見した。当時は、印パの核実験の直後のこと。首相は「インドやパキスタンの核実験の問題や、イラクや北朝鮮などの核開発疑惑の問題もある。日本としても核不拡散体制の強化を目指したい」と伝えた。法王は「日本は初めての被爆国として核の脅威を良く知っている。その立場から核廃絶及び人類の平和のために引き続き努力してほしい」と語った。
 アジア不況拡大の一環なのか、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は訪日前、タイの首都バンコクで諸宗教の代表者との集いに参加。タイは仏教国。カトリックは1パーセントもいない。
 2019年11月に、38年ぶりの訪問となった日本では、反核が中心に報道された。時代のメッセージを代弁しその言葉は大きな反響を生んだ。カトリック教会は、幼児性愛でヨーロッパ域内では厳しい視線が向けられている。日本には大きな宗教対立もない。日本人のこころにどれだけ法王の言葉が響いたのか。祈りをささげる直前に見せた法王の許しを請うような表情が脳裏に焼き付いている。###

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