独立運動のカシミールはどうなるのか?【ギラニ氏が90歳で辞任】
ギラニ氏(Syed Ali Geelani)90歳が(Hurriyat会議)の責任者を辞任した。長年強硬派を率いてきた重鎮。穏健派は聖職者Mirwaiz Umar Farooqが率いていた。私がお目にかかったのは拘束を解かれた時期。分厚いコーランを読むようにと手渡された。
ジャム・カシミールを拠点とする分離主義者のサイド・アリ・ギラニ氏は、2019年8月から自宅軟禁状態になっていた。ギラニ氏は、現状を検討しやめると音声メッセージを発表した。自治権はく奪後の抵抗運動の不在に抗議した形だ。
ジャム・カシミール州では、多数派のイスラム教徒住民による分離独立運動が続いてきた。インド政府側は活動家の背後にはカシミール地方の領有権を争うパキスタンがいるとしてきびしい監視のもとにおいていた。ジャム・カシミール州の分離独立派イスラム組織は多数存在する。キガニ氏は老舗の強硬派。対話を一切拒否して革命を目指す。隣国パキスタンとの統合を求める親パキスタン派の代表がギラニ氏。インド政府が警戒し何度も投獄と軟禁を経験してきた。インドのカシミール支配は不当で軍事力によって維持されていると主張する。インド支配からの自由を勝ち取る。穏健派の分離独立派指導者のミルワイズ・ウマール・ファルーク氏は政府との対話を支持。インド政府は故意に緊張を作り出している。
印パが分離独立した1947年、カシミール地方の藩王(ヒンズー教徒)がパキスタン側の侵攻を受け、インドへの帰属宣言と引き換えにインド軍の出動を要請。領有権を主張する両国は交戦状態になり、49年に停戦ライン(72年に実効支配線)が引かれた。国連安保理は住民(約7割がイスラム教徒)による投票で帰属を決めるべきだとの決議を採択したが、インドはパキスタン軍の撤退を条件とし、住民投票は実現していない。そのまま自治権のはく奪となった。
カシミールの住民の声や現地の情報をもっと知らなければならない。