ダイヤモンド1万2638個を使った指輪【大きいダイヤには歴史、小さいダイヤには社会】

超小粒のダイヤモンド1万2638個を使用した指輪が、一つの指輪に使われたダイヤモンドの数でギネス世界記録に2020年12月に認定された。「マリーゴールド:繁栄の指輪(The Marigold – The Ring of Prosperity)」と名付けられた指輪は、大きな花の形をしており、重さは165グラム余り。制作したインド人宝石職人ハルシット・バンサル(Harshit Bansal)さん(25)はダイヤモンド業で有名な西部グジャラート州スーラト(Surat)で宝飾デザインを学んだ。今のところ売る予定はない。これまでのギネス記録はダイヤ7801個を使った指輪で、同じくインドで認定されていた。
 同じくスーラトで新型コロナウイルスの世界的大流行を受けダイヤモンドで飾られたマスクも販売されている。価格は2000ドルから5000ドル超。インドの通信社ANIが報じている。イエローゴールドとアメリカンダイヤモンドが施されたマスク(約2000ドル)や、ホワイトゴールドとリアルダイヤモンドが施されたマスク(5000ドル超)など。

 ダイヤの歴史はインドが始まりともいわれる。ダイヤ自体は炭素が高圧高温の状態にさらされ鉱石となる。自然の偶然の重なりで出来る。インドでは平らな面を作らず石の原型に近い丸い形のままが好まれていた。赤色のルビーや青色のサファイアなどの宝石のほうが人気が高かった。15世紀、オランダの宝石職人によるダイヤ同士で研磨するカット技術が発見され、テーブルカットやローゼンツカットなどの様々なカット方法が編み出される。17世紀、多くの宝石がヨーロッパへ流通するようになり、原石の形に合わせたカット方法から、よりダイヤ本来の美しさを引き出すことが出来るようになる。ローズカットやブリオレットカット。現在は、ダイヤの最高の輝きを引き出すことが出来る「ラウンド・ブリリアンカット」。

 オランダ東インド会社によるダイヤモンドの購入は、まずボルネオ島で始まったとされる。その後、一六二〇年代にコロマンデル海岸を積み出し港とするインド産のものへと拡大していった。コロマンデル海岸は、インド,デカン高原南東部,ベンガル湾沿いの海岸でコモリン岬からクリシュナー川河口まで延長約720km。インド産は、埋蔵量・産出量ともに豊富と見なされ、会社も当初は大きな期待を寄せたが、実際には現地での紛争・政策等に左右された不安定な供給量、購入価格の高騰に悩まされ続けた。オランダで研磨技術の発展した。

 ダイヤモンドが採掘できるのはダイヤモンドがマグマとともに地表近くまで上がってきたポイントのみ。2007年、愛媛県・四国中央市に位置する四国山地にて、日本初となる天然のダイヤモンドが見つかった。大きさは1/1000ミリ程度。
 古い時代に注目された産地はインドやブラジルだが、その後、アフリカ大陸へと世界の興味は移った。アフリカで「ダイヤモンド採掘国」としての注目を集めたのは南アフリカ共和国。「最高の品質」と言われているのがボツワナのジュワネング鉱山にて採掘されるダイヤモンド。現在産出量のトップはロシア。インドは多くない。マジガワン鉱山(マディア・プラデーシュ州)が有名。
 そのインドでもにわかにラッシュが続いている。タイムズ・オブ・インディアなどの報道によると、ボパールのラカン・ヤダブさんが拾った「小石」は14.98カラットのダイヤモンドだったということ。2020年11月。貧しいブンデールカンド地方の地区であるパンナは、ダイヤモンド鉱山で知られてる。ヤダブさんは地区で過去30日間に大当たりした4人目の人物だという。300万ルピーとも、600万ルピーとっも。日本円で数百万。
 PTI通信。スーラトのダイヤモンド産業が香港を主な輸出先としているため影響が大きいと報じられた。インドに輸入したダイヤモンドの原石の99%はスーラトで研磨される。スーラトから香港への研磨済みのダイヤモンドの輸出規模は、毎年5,000億ルピー相当。

 デザインが重視される苦しい事情。パンデミックのなかでダイヤモンドに対する需要は急減。取引は滞り、価格は下落した。新型コロナ感染症により、採掘企業は原石出荷の中止・延期に追い込まれ主要なダイヤモンド展示会がイベントや移動の制限により中止された。実現した少数の出荷についても、ダイヤモンド原石の価格は15─27%下落している。
 インド宝飾品輸出促進協会(Gem & Jewellery Export Promotion Council)のデータによれば、2月に15億ドル(約1601億円)だったインドのダイヤモンド原石輸入額は、4月にはわずか100万ドルへ急減した。
 アントワープ・ワールド・ダイヤモンド・センターのデータによれば、やはりダイヤモンド加工の中心地であるアントワープでも、上半期の原石輸入額が前年同期比で20%減少した。アントワープからの研磨済みダイヤモンド輸出額も46%減少している。
 インド産には有名なダイヤがある。有名なダイヤモンド。グレート・ムガルは、フランスの宝石商タヴェルニエの旅行記に記された伝説のダイヤモンド。原石の状態では787.50カラットあったとされ、事実とすればその当時世界最大だが、わざわざヴェネツィアから呼んだカット職人がカットに失敗し280カラット余りに。その後の行方は不明。リージェントもインド産。わずかに青みを帯びグレート・ムガルから切り出されたのではないかと考えられている。140.64カラット。ルーヴル美術館蔵。フロレンティンはインド産のイエロー・ダイヤモンド。137.27カラット。ハプスブルク最期の皇帝が帝政崩壊時に持ち逃げした後、現在まで行方不明。コ・イ・ヌールは、ムガル帝室に伝来した、歴史的に最も古い有名なダイヤモンド。186.0125カラット。コ・イ・ヌール(ブリリアント・カット上面、1852年以後)は、インドのマハラジャからイギリス東インド会社を経て、イギリスのヴィクトリア女王へ献上された。夫のアルバート公がオランダの研磨業者にブリリアント・カットに仕立て直しを命じ、重量が105.602カラットに減少。現在もイギリス王室が所蔵しており、ロンドン塔に展示されている。意味は光の山。
 インドはダイヤモンドの取引量では世界一。世界の色々な産地から集まってくるダイヤモンドの原石をカットして取引。ダイヤモンドトレーディングセンター(DTC)で原石が取引される。16世紀初頭にはダイヤモンド研磨ツールも生まれた。ダイヤモンドの貿易のほとんどは、インドで行われ、19世紀に南アフリカの鉱山が発見されるまで続いた。かつてムンバイのオペラハウスと言うエリアにダイヤモンドマーケットがあった。2010年に税関の移動をきっかけにBandra Kurla Complex BHARAT DIAMOND BOURSE(BDB-BKC)に移動。

 インドのダイヤモンド産業における児童就労は憲法で廃止後も継続している。カーペット製造、絹産業、爆竹製造、飲食店、ダイヤモンド産業。児童労働が盛んでダイヤモンド産業で顕著。なぜ、ダイヤモンド産業における労働力として児童が好まれるか。ダイヤモンドをカットし研磨する作業には、完璧な正確さが求められ労働者の家族によって代々受け継がれていく。ダイヤモンドの品質の判断基準となる4Cのうち、3C(色・透明度・重量)は自然界によって決められるが、残りのCであるカットについては、加工技術によって左右される。子供は鋭敏な視力を持ち、手さばきが安定している。大人よりも早く正確にダイヤモンドをカットすることが出来る。低賃金で容易に調達できる労働力。就労する子供の多くは10~14歳の少年。
 ダイヤモンド産業の中心地は、スーラト、ジャイプール、ムンバイ。インド憲法24条では、14歳以下の子供による工場・鉱山・その他における危険を伴う労働が禁じられている。21条では全ての州に対し6~14歳の子供への義務教育を定めている。1991年、国際労働機関(ILO)は世界中の児童労働撤廃に向け児童労働撤廃国際計画(IPEC)を立ち上げインドは世界で最初にこの覚書に署名をした。
 インド人のノーベル賞受賞者カイラシュ・サティアルティは1980年、全ての子供を搾取から救い出し無償で質の高い教育を受けられるようにすることを目的に、バチパンバチャオアンドーラン(子ども時代を救う運動:BBA)を立ち上げた。児童労働から子供たちを身を挺して救ってきた。
 大きいダイヤには歴史があり、小さいダイヤには社会がある。
 

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