危機指導力で国民最低評価を受けた安倍首相、中国と並んで高評価のインドの出発点はあの災害だった

2001年のグジャラート地震で破壊されたカッチ地区の再建でモディ首相が発揮した再生モデルは今の仕事の原型になっていると拙書で書いた。新型コロナウイルスでもそれと同じだと現地の報道が伝えていいる。そのやり方は多面的なアプローチだが、物事を箱から出して考え、地域社会に力を与え、支援することだ。
 危機の際には経済パッケージを誰もが出す。そのための蓄えなのだからどこの国でも同じこと。異なるのはそのメニューとタイミング。ITを駆使した台湾のようなケースもあれば、マスクを配布する政府もある。
 2001年1月26日の運命の朝の後、カッチの人々が目撃した荒廃の痕跡を忘れることはない。国際メディアは、地域の死亡記事を書いていた。次の10年はカッチの10年の進歩となり衰退することはなかったがそれが世界に伝わることは少なかった。当時、モディ首相は州の代表だった。
 発生時にはインド人民党の書記長だったモディ氏は、州首相に就任後、カッチの再建と救急活動の合理化を行った。最大の懸案は家の不足。村々、町々、破壊された家々しか見えない中で、石工が不足していた。足りないものがあればそれを補充する。単純に見えて指導力のいる仕事だ。グジャラート州政府は迅速に行動し、地域社会を統合し、小さなチームを作り、各チームにキットを与え、家の建設に集中した。徐々に住宅の課題は克服され家の数は増加した。家は以前よりも大きくニーズに沿った住宅となった。地震後何年にもわたって住宅が不十分でトイレ建設プログラムに欠陥があったラトゥールの地震後のシナリオの処理と比較するとその功績は明らかだ。
 モディが強調したもう一つの課題は学校の建設だった。砂漠とパキスタンとの国境で知られる地区の人々の認識を変える決心をした。モディはその後、カッチの農業部門を再考した。地震後の数年、カッチはマンゴー、ナツメヤシ、ザクロの輸出を始めた。精巧な灌漑ネットワークが確立され、徐々に水がこの地域に届いた。地元の手工芸品産業も支援を受け経済の復活に貢献した。乳製品や協同組合、道路、鉄道、高速道路インフラストラクチャについての規制が緩和され、10年も経たないうちに、カッチがインドで最も繁栄した進歩的な地区の1つになった。誰もそれを想像していなかった。
 カッチでの仕事を通じて、インドの災害管理装置を再考したのはモディだった。政府が災害に対処することをより簡単にするプロセスを設定した。カッチ地震の前は、災害の定義は洪水や干ばつを超えたものではなかったため、災害管理は通常農業部門の課題だった。2003年、グジャラート州議会はグジャラート州の災害管理法を可決し、災害管理のための法的および規制的枠組みを持つ最初の州となった。災害管理を制御するのは内務省だとする考えは、国民会議派に踏襲された。シン政権はこれに基づいて2005年の災害管理法を可決した。
 モディは今、ポストCOVID時代の健康、教育、観光セクターをどのように見るかを再考する必要性を強調している。 計画されているのは、単に被害を修正するだけでなく、同様の課題に対して国を将来的に改善することを目的とする長期的な対策だ。モディのカッチでの経験は、リーダーシップについての有望という認識につながる。危機の時にモディがどのように政治を提供することができるかが問われる。その形は、再建の短期的な検討ではなく、単なる修復でもなく、破壊のエネルギーを無題にしない更新とそのための積極的なコミュニティの参加である。開発の軌跡が再燃する。

 日本の指導者、コロナ対策の国際比較国民評価で最下位となっている。23の国と地域の人々を対象にそれぞれの指導者の新型コロナウイルス対応の評価を尋ねた国際比較調査で、日本が最下位となった。調査はシンガポールのブラックボックス・リサーチとフランスのトルーナが共同で実施。 調査は23カ国・地域の1万2592人を対象に、4月3~19日にオンラインで実施した。政治、経済、地域社会、メディアの4分野で日本は全4分野のいずれも最下位で、総合指数も最低。政治分野では、日本で安倍政権の対応を高く評価した人の割合は全体の5%(中国86%、ベトナム82%、ニュージーランド67%)。総合指数でも日本は16と最低。最高は中国(85)。

 インドは総合指数で、中国85%、ベトナム77%に次ぐ三位。以下、マレーシア58、台湾50、フィリピン49、インドネシア48、シンガポール48、タイ36など、日本16は韓国31の半分で断トツのビリ。先進国はニュージーランド56を除いて軒並み低いがトランプ大統領のアメリカでも41ある。途上国や表現の自由が制限されているなど国情の違いもあるが、日本の低さは説明しがたい。

 インド人の約87%は、自国がCOVID-19危機をうまく管理しており、国を23の国の中で3番目に位置づけていると感じている。インド人の半数以上が危機の最中に国の指導者を好意的に評価し、69%が国のトップの政治指導者に満足したと述べた。 調査によると、インド人の45%がビジネスリーダーの反応が良かったと感じている。

 関東大震災後に帝都復興を成就したのは後藤新平。関東大震災が起きたときは既に66才、モディ氏と重なる。すでに各分野での経験を積んでいた。東京市長の任務の直後で、震災翌日に内務大臣に就任した。後藤は、台湾総督府民政長官、南満州鉄道満鉄初代総裁、貴族院議員、鉄道院初代総裁、逓信大臣、外務大臣、少年団日本連盟初代総長も務めている。NHKの前身である東京放送局初代総裁。医者でもあった。
 台湾と満州での国作り・都市作りは、グジャラートの再建とパラレル。後藤にはモディにはなかった外交の経験もあった。震災1週間前に加藤友三郎首相が急逝し山本権兵衛が首相となり、後藤は内務大臣となった。
 関東大震災では、東京の新聞社の多くが被災し流言飛語が多く朝鮮の人たちへの虐待も行われた。震災後ラジオ放送が始まり1924年に東京放送局が設立され後藤は初代総裁になった。今でいうとネットのフェイクニュースがパラレルか。 ボーイスカウトを率いた後藤の自治の三訣。「人の御世話にならぬ樣。人の御世話をする樣に。そして酬いをもとめぬ樣」
 危機からの復興に自助を引き出す裁量に人気が集まる。

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