感染者数が増え続けるインドを別のサイクロンが襲う、1882年の幻のサイクロン

インドは新型コロナ感染件数でイタリアを抜いた。スペインとイギリスを抜くのも時間の問題のように見える。アメリカ、ブラジル、ロシア、そしてインド。中国の感染者数の二倍はすでに超えている。これまで、発症率や回復率で若年人口の多いインドは強いといわれていたが、率ではなく絶対数だろう。大切なのは。
 ムンバイ近郊に2020年6月3日、サイクロン「ニサルガ」が上陸した。ニサルガは2日にアラビア海で発生し、マハラシュトラ州アリバグに上陸した。サイクロン「アンプン(ファン)」が東部沿岸を直撃したのに続いて今度は西海岸。ムンバイを大型のサイクロンが襲ったのは1948年以来。新型コロナウイルス感染が疑われる患者も隔離施設から別の場所に避難した。ムンバイはスラムのある三密の地。

 1882年のボンベイのサイクロンは強風と高潮で10万人が亡くなったとされているが、記録が残っていない。災害の記憶は消えやすい。風景を変えない。忘れたい。死者は言葉を残さない。10万人が嘘なのか。Great Bombay Cycloneというほどではなかったのか。風さえ吹かなかったのか。命の重さとは。サイクロンはあったと主張する学者もいる。石碑でもあればちがった。ムンバイのインド門はアラビア海を臨む。高さ26 mの玄武岩のアーチ。総督や著名人の上陸地として使用された。ムンバイのタージ・マハルともいわれる。1911年建造で幻のサイクロンはもっと前。
 イギリス領インド帝国の時代。イギリスの君主がインド皇帝を兼ねる同君連合。つまりは植民地。英領インド・英印。ヒンディー語で「ब्रिटिश राज」(British Raj)。ボンベイではゾロアスター教の改革。寡婦の学校を作ったパンディタ・ラマバイの女性運動。国民会議の議長を務めたサロジニ・ナイドゥの女性解放運動は独立運動に合流した。記録をする政府がない時代。

 少なくともイギリス人に被害が出たり、交易に影響していれば記録は残っているはずだが。。。(画像)

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