なぜ新型コロナのインドの帰国便はオーバーランしたのか?【原因はまだだが濡れたコジコーデの滑走路の先は谷、エア・インディアは信頼をまた失うのか】

インド南部ケララ州コジコーデ(Kozhikode カリカットともコージコートとも)の空港で、乗客乗員190人を乗せた旅客機が激しい雨と風に見舞われて着陸に失敗した事故。死者はこれまでに機長、副操縦士を含む18人。格安航空会社エア・インディア・エクスプレス(Air India Express)のボーイング737型機は、新型コロナウイルスの流行により海外に足止めされたインド人を帰還させるため、特別便としドバイ(Dubai)を出発したが、2020年8月7日夜、滑走路をオーバーランして斜面を落下し、機体が真っ二つに折れた。
 雨に濡れた丘の上の滑走路に近づくと機体が激しく揺れたとの証言。カリカットの空港の滑走路は2,850メートル(9,350フィート)。幅は34メートル(112フィート)。両側に深い峡谷がある平らな丘の上でテーブルトップと呼ばれる。民間航空大臣のHardeep S. Puriは声明で、飛行は斜面を雨の状態で滑走路をオーバーシュートして下ったと述べた。滑走路末端の安全領域は国連の国際民間航空の要件を満たしているが、国連機関はコジコード空港よりも150メートル(492フィート)長いバッファーを推奨している。事故原因は複合的だから今特定はできない。たとえばこれまでの飛行機事故でも原因がわからず機長の心の問題だったりしたこともあった。可能性はいくらでもある。雨が原因なら雨の日は飛べなくなるし、滑走路が原因なら作りなおさなければならなくなる。単純ではない。オーバーランしたのは事実。視界が悪くブレーキ操作が不十分だったことは考えられる。

 エアインディアエクスプレスとその親航空会社であるエアインディアは、カリカット空港での事故の翌日の2020年8月8日の朝にソーシャルメディアでロゴを暗くした。

 コジコーデの空港は、滑走路が高台にあり、一方の端が急斜面になっていることから、操縦技術を要する空港とみなされている。

 もっと「危険」なことで知られる空港がネパールにある。2019年4月13日,ネパール東部ルクラのテンジン・ヒラリー空港で離陸中の航空機が滑走路を外れ待機中のヘリコプターに衝突、3人が死亡した。「世界でも最も危険な空港」の一つとされることが多い。テンジン・ヒラリー空港は、標高2845メートルの高地にあり、エベレスト登山の玄関口として多くの人々に利用されている。滑走路が短く、山に囲まれている。滑走路の1本は崖っぷちにあり崖下までの落差は約700メートルある。2008年には、旅客機が着陸に失敗し18人が死亡。

 最近ではトルコの空港で旅客機がオーバーランして大破した。3人が死亡。トルコ・イスタンブールの空港で乗客乗員183人を乗せたトルコの格安航空会社「ペガサス航空」の旅客機が着陸の際に滑走路をオーバーラン。滑走路を外れて機体は大破し出火。空港周辺では激しい雨が降っていた。

 着陸時のオーバーランには、エンジン故障によって逆噴射装置が使用不可能になり車輪のブレーキだけで止まり切れなかったケース、ハイドロプレーニング現象によるオーバーランなどがある。
緊急着陸先の滑走路長が足りずにオーバーランするケースや、間違えて小型機専用の空港に着陸してオーバーランするケースもある。

 過走帯は、オーバーラン対策として滑走路に設置される。滑走路の両端に50から150メートル程度設置されることが多い。赤の不動灯で示される。滑走路の両端に航空機の重量に耐えうる地帯を設ける。

 それにしてもエア・インディアは打撃を受けた。
エア・インディア855便墜落事故は、1978年1月1日に発生した。ボンベイからアラブ首長国連邦・ドバイに向けて離陸したエア・インディアボーイング747-237Bはエア・インディアが受領した1号機であり「アショーカ王(Emperor Ashoka)」と命名されていた。ボンベイの海岸近くにあるサンタクルズ国際空港から離陸後、沿岸からわずか3キロメートルのアラビア海に機首から突っ込む状態で墜落し、爆発した。これにより乗員23人、乗客190人の合わせて213人全員が犠牲になった。墜落地点の水深は10メートルもなかったため、残骸が墓標のように突き刺さっていたという。
 事故原因は旅客機が左旋回して水平飛行に戻ったにもかかわらず、メインの姿勢指示器が故障により右に傾いていたため、それを見て誤った判断をした機長が水平に戻そうと不適切な操作を続けたとされた。機長が糖尿病の服薬と飲酒の影響で方向感覚を失っていたと反論があり、1985年、アメリカ連邦裁判所はボーイング社らに過失は認められないとして無罪を言い渡した。

 エア・インディア182便爆破事件は1985年6月23日にエア・インディアのジャンボ機が北大西洋上で墜落した事件。当時インド政府と対立していたシク教過激派が手荷物の中に仕掛けた爆弾が爆発。また事件の1時間前に成田国際空港でも、エア・インディア機を標的とした爆発物が爆発し、空港の作業員を死傷させる事件が発生していた(成田空港手荷物爆発事件)。

 エア・インディアはイギリスの植民地下にあった1932年に、実業家で飛行家としても知られるジャハンギール・ラタンジ・ダーダーバーイ・タタによって「タタ航空」として設立された。1946年に現在の社名となり、独立後の1948年にタタ・グループを離れ、インド政府との半官半民体制になった。独立後は国際線へ進出、ボーイング707を導入しジェット化を進めた。日本発着路線は1950年代に乗り入れを開始し早い時期から日本人客室乗務員を採用している。
 2007年に国有会社で国内線及び近距離国際線専門のインディアン航空と合併し最大の航空会社となる。新会社名はインド国有航空会社となったがブランド名としてエア・インディアが残った。
2020年段階で80億ドル以上の赤字を抱えインド政府は、2020年1月、債務のうち約32億6000万ドルを引き受けることを条件に全株式の売却に向け入札を行っている。
 客室乗務員はサリーを着用、機内食はインド・カレーを提供、機内映画もインド映画を多く上映する。インドに行く際は10本ほどみられるのが魅力。機内食のカレーは本格派。日本路線は、東京/成田 – デリー線・大阪/関西 – 香港 – デリー線ともにボーイング787-8型機が運航。成田国際空港では第2旅客ターミナルを使用。2017年、エコノミー席の機内食で肉類を提供しないことを決定。

 エア・インディア101便墜落事故は1966年に発生した航空事故。1966年1月24日の朝8時頃、インド・ボンベイからレバノン・ベイルート、ギリシャ・アテネを経由してロンドンへ行く エア・インディア101便ボーイング707-437が次の寄港地スイスのジュネーヴ・コアントラン国際空港に着陸の前に雲上から急降下しモンブランの山頂付近に激突。乗員11人、乗客106人の合わせて117人全員が犠牲になった。
 管制官との音声交信の聞き違えが原因とされている。この事故でインドの世界的物理学者で原子力開発にも貢献したホーミ・J・バーバーが犠牲となった。

 インドでの最悪の事故は1996年11月12日で、サウジアラビア航空の飛行がハリヤナ州のシャルキダドリ近くのカザフスタン航空の飛行と空中衝突し、双方の飛行機に搭乗していた349人全員が死亡した。

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