アメリカにはどんなインド系の著名人がいるのか?【IT人材、政治家、俳優、レスラー、ノーベル賞学者など23人のリスト】

アメリカには民主党バイデン元副大統領が抜擢したカマラ・ハリスのほかにどんなインド系がいるのか?【IT人材は有名だが、ほかにも政治家、俳優、レスラー、ノーベル賞学者など多彩】ウィキを中心にインド関係を引用抜粋した。

ニッキー・ヘイリー(Nimrata Nikki Randhawa Haley, 1972年1月20日 – )はアメリカ合衆国の共和党の政治家で元国連大使。第116代サウスカロライナ州知事。サウスカロライナ州史上初の女性知事・人種マイノリティ出身知事。任期中は全米50州で最年少の知事。メソジストの中でも保守派で中絶に強く反対する保守強硬派。父母はインド・パンジャブ州出身のシク教徒でサウスカロライナ州への移住後にニッキーが誕生した。州兵のマイケル・ヘイリーと結婚し夫の姓を名乗ると同時にシク教からメソジストに改宗。2016年の大統領選挙ではテッド・クルーズを支持したが、トランプ大統領によりヘイリーはアメリカ合衆国国際連合大使に指名され2017年1月27日に着任した。選挙期間中にトランプを支持しなかった人物がトランプ政権入りするのは珍しい。

ボビー・ジンダル(Piyush “Bobby” Jindal、1971年6月10日 – )は第55代ルイジアナ州知事。インド系としては史上2人目の連邦議会議員(下院、2004年 – 2008年)を経て、2008年に歴代最年少の36歳でルイジアナ州知事となった。インド系としては史上初の州知事。パンジャブ州から移民して間もない両親の間に、ルイジアナ州バトンルージュで生まれた。父はエンジニア、母は州立大学で物理学を学ぶ大学院生であった。ヒンドゥー教徒であったが、高校生でカトリックに改宗。マッキンゼー・アンド・カンパニーにヘルスケア関連のコンサルタントとして勤務。コンサルタントとしてラクシュミー・ミッタルとともに仕事をした経験もある。2016年大統領選挙に共和党候補として立候補することを表明し撤退。共和党指名争いにおけるマルコ・ルビオ上院議員への支持を表明。トランプ政権では厚生長官の候補に名前が挙がったが、実現しなかった。

ロー・カンナ(Ro Khanna、1976年9月13日 – )は2016年にマイク・ホンダを破って当選した民主党の政治家。1976年にペンシルバニア州フィラデルフィアで、インドから移住した両親の元に生まれた。2014年の連邦下院議員選挙にカリフォルニア州17区から立候補し、アップルやグーグル、ヤフーなどシリコンバレーのIT企業幹部からの支持を得た。世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)の支援を受けた。この選挙ではマイク・ホンダに敗れたが、2016年11月の選挙でホンダを破り、連邦下院議員に当選した。慰安婦問題や尖閣諸島問題で反日的な立場を取っているとされる。

ノーベル賞の授賞者。ハー・ゴビンド・コラナ(Har Gobind Khorana, 1922年1月9日 – 2011年11月9日)は遺伝情報の解読とそのタンパク質合成への役割の解明でノーベル生理学・医学賞。パンジャブ地方生まれ。遺伝暗号の翻訳とタンパク質合成の研究。マサチューセッツ工科大学にて晩年まで勤務した。コラーナは、当時イギリス領インド帝国であったパキスタンの貧しい村で生まれた。税務署員だった父親から家庭で教育を受けラホールのパンジャブ大学で1945年に修士号を取得した。全ての生物に共通する遺伝暗号は塩基3文字ずつの言葉で書かれていることを明らかにした。コラーナはまた、世界で最初にオリゴヌクレオチドを合成した人物でもあり、最初にDNAリガーゼを単離した人物でもある。これらの方法を用いた人工オリゴヌクレオチドは世界中の研究室でシークエンスやクローニングに使われている。コラナの発明は自動化、商業化され、そのおかげで今では誰でも欲しい配列のオリゴヌクレオチドを様々な会社から買うことができる。

スブラマニアン・チャンドラセカール(Subrahmanyan Chandrasekhar、1910年10月19日 – 1995年8月21日)は、インド生まれのアメリカの天体物理学者。1932年、白色矮星の質量に上限(チャンドラセカール質量)があることを理論的計算によって示し、恒星の終焉に関する「チャンドラセカール限界」を提唱した。1910年、イギリスの統治下にあった英領インドのラホール(現パキスタン領)に生まれた。イギリスへの渡航途中、船上にて、白色矮星の質量には上限(チャンドラセカール限界)があることを発見した。ケンブリッジではアーサー・エディントンに師事した。チャンドラセカール質量の研究について、この質量を超えた天体がブラックホールになりうるという事等、後年に高く評価される結果をエディントンは徹底的に批判したため、確執が生まれる。1937年、アメリカへ移住し、シカゴ大学およびヤーキス天文台研究員となって天文学に関する研究を進めた。1999年に打ち上げられたNASAのX線観測衛星「チャンドラ」は、彼にちなんで名づけられた。叔父はラマン効果の発見で1930年にノーベル物理学賞を受賞したチャンドラセカール・ラマンである。

スニータ・ウィリアムズは(Sunita Williams、1965年9月19日-)はアメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士。第14次長期滞在及び第15次長期滞在で国際宇宙ステーションに滞在した。女性としては世界最長の宇宙滞在195日という記録を持っている。父方のルーツはインドのグジャラート州。母親はスロベニア人の家系。ウィリアムズはスペースシャトルディスカバリー/STS-116に乗ってISSを訪れ、第14次長期滞在に合流した。彼女はISSに個人的に、バガヴァッド・ギーターのコピー、小さなガネーシャの像、サモサを持ちこんだ。2007年3月初め、スパイシーな食べ物がほしいという彼女の要求に応え、プログレス補給船からワサビのチューブを受け取った。1気圧で詰められたチューブを開けると、ゲル状の物質は気圧の低いISS船内に飛び散った。2007年4月16日、彼女は宇宙から初めてマラソンに参加した。2007年9月、ウィリアムズはインドを訪れた。彼女はマハトマ・ガンディーが1915年に反乱を起こした僧院であるサーバルマティー・アーシュラムと祖先の出自であるグジャラート州ジューラサンの村を訪れた。また彼女は、World Gujarati Societyからインド国籍を持たない人物としては初めてSardar Vallabhbhai Patel Vishwa Pratibha Awardを受賞した。

カルパナ・チャウラ(Kalpana Chawla、1962年3月17日 – 2003年2月1日)は、インド系アメリカ人宇宙飛行士。スペースシャトル・コロンビアの事故(コロンビア号空中分解事故)により死亡した 7人の飛行士のうちの1人。ハリヤーナ州カルナールの出身。パンジャブ工科大学を卒業後渡米。宇宙飛行士としてはミッション・スペシャリストとしてロボットアームの操作訓練を受け、1997年に打ち上げられたスペースシャトルミッションSTS-87では、太陽観測衛星スパルタン201-04の放出と回収になど携わった。2回目のシャトル搭乗となった2003年のミッションSTS-107では微小重力下の実験を担当したが、シャトル帰還時に発生した機体分解事故により殉職した。事故の前年に打ち上げられていたインドの気象衛星MetSat-1は、彼女を記念して2003年にKalpana-1(カルパナ-1)と改名された。また小惑星 カルパナ・チャウラ (小惑星)も彼女を記念した命名である。

ヴェンカトラマン・ラマクリシュナン(Venkatraman “Venki” Ramakrishnan1952年 – )は、インド出身でイングランド・ケンブリッジのMRC分子生物学研究所で活動する構造生物学者。2009年、リボソームの構造と機能に関する研究の功績によりノーベル化学賞を受賞した。インド・タミル・ナドゥ州カダルール県チダンバラムに生まれる。インド工科大学への進学を目指したが入学試験すべてで不合格となりヴァドダラのマハラジャ・サヤジラオ大学で学んだ。のちに理論物理学から生物学の世界へ移った。ラマクリシュナンはアメリカ国内で50近くの大学に申請したものの、教職を得ることができなかった。2009年、ノーベル化学賞をトーマス・A・スタイツおよびアダ・ヨナスと共同で受賞し、2010年にはインド国民にとって2番目に高位の栄誉章(Padma Vibhushan)を授与された。2015年からは王立協会の会長。

ノシル・ゴワディア(Noshir Gowadia, 1944年 – )はインド系アメリカ人の技術者。ノースロップ社のB-2ステルス戦略爆撃機の設計者の1人。2005年スパイ容疑で逮捕され、中国に軍事機密を売った罪で2011年1月に32年の懲役刑が下され連邦刑務所に収監された。インドのパールシー(ゾロアスター教徒)の家庭に生まれ、後に移住してアメリカの市民となった。1968年にノースロップ社(当時)での仕事に携わり、B-2の設計を担当した。2005年の逮捕以来保釈されておらず収監が続いていたが、2011年1月24日アメリカ合衆国連邦裁判所において32年の懲役の判決が下された。

俳優も多い。ローハン・チャンド(Rohan Chand)はローン・サバイバー Lone Survivor (2013)で子役を務めた。

マール・オベロン(Merle Oberon, 1911年2月19日 – 1979年11月23日)はボンベイで生まれた映画女優。父はインド駐在のイギリス軍人。母はインド人。父と母は正式に結婚したわけではなく、彼女は母親に育てられた。女優としてデビューしてから、彼女はインドとのハーフであるという出自を隠しにし、出身地を「オーストラリアのタスマニア島」とした。民族衣装サリーを身につける母を、知人に「使用人」と偽っていた。白い肌に気品と妖艶を兼ね備え貴婦人や歴史上の人物の役を得意とした。代表作は映画『嵐ケ丘』で、ヒロイン(キャサリン)役を勤め、ローレンス・オリヴィエと共演した。

ディープ・ロイ(Deep Roy、1957年12月1日 – )は身長132cmの俳優。ケニア出身でサンタモニカ在住だがインド人の両親の間に生まれる。『チャーリーとチョコレート工場』では、一人で165人のウンパルンパ役。インドで26代続くマハラジャMaharajah Vinepalの出身。スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 (1983年) – ドルーピー・マックール。ネバーエンディング・ストーリー Die unendliche Geschichte (1984年) – ティーニー・ウィーニー。オズ Return To OZ (1985年) – ブリキの木こり。スター・トレック イントゥ・ダークネス Star Trek Into Darkness (2013年) – キーンサー。

M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan, 1970年8月6日 – )は、インド系アメリカ人の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。2008年、インド政府によりパドマ・シュリー勲章が授与された。1999年には脚本・監督を務めた『シックス・センス』が商業的に成功をおさめ、アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされ、国際的な知名度を上げた。

ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri、、1967年7月11日 – )は、インド系アメリカ人の小説家。ラヒリのデビュー作である短編集『病気の通訳(Interpreter of Maladies)』(1999年、日本語訳書は『停電の夜に』)は、2000年のピューリッツァー・フィクション賞を受賞。移民たちの心理と行動の微妙な機微と細部を時間の経過とともに描いてゆく。ラヒリは、ベンガル系インド人移民の娘としてロンドンで生まれた。彼女が3歳の時、家族はアメリカに移住した。ラヒリは自分自身をアメリカ人であると考えている。

ノラ・ジョーンズは(Norah Jones、本名:Geethali Norah Jones Shankar、1979年3月30日 – )はピアノ弾き語りジャズ歌手&ジャズ・ピアニスト、女優。父はインドで最も有名な音楽家でビートルズにも影響を与えたシタール奏者ラヴィ・シャンカル。異母妹はイギリス人シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカル。ジャズのスタイルを取りながら、ソウル、カントリー、フォーク、ポップスなど、アメリカのポピュラー音楽の要素を採り入れたデビュー・アルバム『Come away with me』(邦題:『ノラ・ジョーンズ』)が全世界で1800万枚を売り上げグラミー賞では主要3部門を含めノミネート部門すべてで受賞し、本人としては5冠、作品としては8冠を獲得した。父ラヴィ・シャンカルと母スー・ジョーンズの娘としてニューヨークにて出生。ジャズに属するが、アメリカ伝統の様々な音楽を取り入れてアレンジ。シンプルで覚えやすいメロディという評価や、心の奥にやさしくタッチする歌声という評価もある。癒しの効果が絶大という声もある。

ザキール・フセイン(Ustad Zakir Hussain)はインド出身の世界的に有名なタブラ奏者。北インドの伝統音楽、ヒンドゥスターニー音楽を基盤としているが、様々な海外ミュージシャンとも共演している。タブラ奏者のウスタード・アラー・ラーカの息子として生まれ、父の後を継ぐようにして、シタール奏者のラヴィ・シャンカルのサポートをするようになり1970年に共にアメリカにてデビューする。

アーシフ・マンドヴィ(Aasif Mandvi、1966年3月5日 – )は、インド・ムンバイ生まれの俳優、コメディアン。1966年にインドムンバイでムスリムの家庭に生まれる。マンドヴィが1歳の時に、一家はイギリスのブラッドフォードへ移住。父親はコンビニエンスストアを経営し、母親は看護婦に従事。父親が当時のマーガレット・サッチャー政権に対する不信感から、マンドヴィが16歳の時に一家はアメリカ合衆国のフロリダ州へ移住した。『ER緊急救命室』や『ロー&オーダー』などの話題のドラマへ数多く出演している。

フロイド・カルドス (Floyd Cardoz, 1960年10月2日 – 2020年3月25日)は、インド出身のアメリカ人シェフ。ムンバイ生まれ。2011年に料理番組『トップシェフ・マスターズ』で優勝した。インドの風味・薬味と西洋料理のテクニックを融合させたインド料理。カルドスは「現代インド料理の父」と呼ばれている。彼はインドで生まれ育ち、シェフとしてニューヨークの有名なレストランのキッチンを率いた最初の人物。

アトゥール・ガワンデ(英: Atul Gawande、1965年11月5日 – )はアメリカの外科医、著作家、公衆衛生研究者。医学と公衆衛生についての記事をThe New YorkerとSlateにスタッフ・ライターとして寄稿している。ニューヨーク生まれ、インド系アメリカ人2世。両親はともに医師。学部時代は政治家ゲーリー・ハートのボランティア活動に、卒業後の1988年にはアル・ゴアの選挙活動に参加した。医科大在学中の1992年、大統領選挙におけるビル・クリントンの医療政策に関わり、クリントンの就任期間中は保健福祉省のシニア顧問を務めた。2010年「TIME」の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。

ファリード・ザカリア(Fareed Rafiq Zakaria、1964年1月20日 – )は、インド出身のジャーナリスト、国際問題評論家。ムンバイ生まれ。イェール大学卒業後、ハーバード大学で博士号取得。『フォーリン・アフェアーズ』編集長、『ニューズウィーク』国際版編集長を経て、現在に『タイム』に寄稿している。2012年8月10日、『タイム』誌およびCNNのサイトに寄稿した記事が、『ニューヨーカー』掲載のジル・レポール教授(ハーバード大学)のエッセイを盗用したものであることが判明した。

IT業界も振り返っておく。(スンダー・ピチャイなどは別稿)。
サティア・ナデラ(Satya Nadella、 1967年8月19日 – )はマイクロソフトの最高経営責任者(CEO)。

シャンタヌ・ナラヤン(Shantanu Narayen、1962年5月27日 – )は、インド・ハイデラバード出身のインド系アメリカ人実業家。アドビの会長、社長兼CEO。

アマー・G・ボーズ(Amar Gopal Bose、1929年11月2日 – 2013年7月12日)は、音響機器メーカーBOSEの創業者、会長。MIT(マサチューセッツ工科大学)名誉教授。フィラデルフィア生まれ。父親はインド人、母親はアメリカ人。少年時代からヴァイオリンを演奏する。ボーズの少年期、父親はインテリア・家具の販売を事業にしていたが、あまり繁盛せず、ボーズ家の家計は苦しい状況であった
ボーズは電気工学と電子工学の分野に興味を持ち、ラジオの組み立てや修理をやっていた。ボーズが13歳で興したラジオ修理のビジネスは、フィラデルフィアでNo.1となった。コンサートホールの徹底的な測定・解析に着手。人間の聴覚とデータの関係を重視する心理音響学や室内音響学の分野にまで切り込むことで、独自の音響理論の確立をする。コンサートホールでは直接音が11%で、間接音が89%であるということと、室内における音源から放射される音響エネルギーのバランスが、コンサートホールの臨場感を再現できることを知る。これに基づき家でも直接音と間接音が理想的に機能するダイレクト/リフレクティング理論を確立。

 スポーツはすくなく、俳優やプロレスが目立つ。まだまだいるだろうしこれからも増えていくのだろう。

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