なぜアメリカ大統領選挙でカマラ・ハリスはインドの母親の話をしたのか?【反トランプの受け皿となる多様性の人選はこれから真価が問われる】

2連の真珠のネックレス。栗色のダブルブレストのパンツスーツとシルクブラウス。「黒人女性独特」の太い声。若さと多様性をトランプ氏への対抗軸として前面に打ち出す。映像メディアでアピールする力は強い。新型コロナの影響でリモート開催となったアメリカの民主党大会は日本時間の2020年8月20日正午カマラ・ハリス副大統領候補が指名受諾演説に立った。78歳になる大統領候補のバイデン氏より22歳若く次の大統領候補としてバイデン氏を上回る注目度がある。「すべての国民が一体となり、黒人、白人、ラテン系、アジア系、先住民系、全員が望む将来のために、よりよい重要な仕事を行う大統領に投票すべきだ」
 父はスタンフォード大学の教授、外交官の娘だった母は医学者。母が付けたサンスクリット語で「ハス」を意味するカマラという名前。両親はハリス氏が7歳のときに離婚。母は小学生のハリス氏を白人の多い地区の学校に通わせた。人種差別撤廃のための黒人地区からのバス通学制度に反対していたバイデンを批判したこともある。2003年、黒人女性として初のサンフランシスコ地方検事に選ばれた。警察官殺害の容疑者に死刑を求刑せず批判されたこともある。2017年に黒人女性で2人目、インド系で初の上院議員となった。
 NHKのサイトより関連部分を抜粋。「母のおかげで今の自分がある。私が今夜ここにいるのは、すべての人に平等と自由と正義をもたらすという約束を信じぬいてきた私の前の世代の人たちの献身の証だといえます」「今週、(女性の参政権を認める)憲法修正19条が成立してから100年を迎えます。実はその勝利を支えた多くの黒人女性は、成立したあとも投票を禁じられていました。しかし彼女たち、そしてそれに続く世代の女性たちは組織を立ち上げ、集会を開き、後に続く私たちの生活の中で民主主義と公平な機会を実現するために働きました」「彼女たちはバラク・オバマ前大統領やヒラリー・クリントン元国務長官の先駆的なリーダーシップへの道を切り開きました。彼女たちについて多くは教えられていませんが、アメリカ人として私たちは彼女たちを手本としています」「そしてもう1人、名前の知られていない、物語も共有されていない女性、しかし私が手本にしている女性がいます。それは私の母、シャマラ・ゴパラン・ハリスです。母は19歳の時、がんを治すという夢を追い求めてインドからアメリカにやってきて、カリフォルニア大学バークレー校で、私の父、ドナルド・ハリスと出会いました。2人は1960年代の公民権運動で正義のために一緒に行進しながら、最もアメリカらしい方法で恋に落ちました」「私が5歳の時、両親が別れ、母は私たちをほとんどひとりで育ててくれました。他の多くの母親と同じように、母は24時間態勢で働き、私たちが起きる前にお弁当を詰め、寝た後に勘定をし、台所のテーブルで宿題を手伝ってくれたり、聖歌隊の練習のために教会まで送ってくれたりしました。とても簡単なように見えましたが、決してそうではなかったと知っています」「母は妹のマヤと私に、人生を左右する価値観を植え付けてくれました。母は私たちを誇り高く強い黒人女性に育ててくれました。インド人としての伝統を知り、誇りに思うように育ててくれました。そして家族を第一に考えるよう教えてくれました。生まれてきた家族と自分が選んだ家族についてです」「家族とは親友の紹介で出会った夫のダグ、美しい子どもたち、妹、親友、めい、名付け子たち、叔父、叔母、2軒先に住んでいて面倒をみてくれた第2の母、大学の仲間たち、私の人生で最も大切な人である母ががんで亡くなったときに頼った友人たちのことです」「正義のための戦いは共有の責任だと教えてくれた母は同時に私たちに知らない世界を見るように促してくれました。すべての人々の闘争を意識し、思いやりの心を持つことを教えてくれました」」「公共サービスは崇高な大義であり、正義のための戦いは共有の責任であると信じることを教えてくれました。それが私を弁護士、地方検事、司法長官、そして上院議員へと導きました。そしてその一歩一歩は、私が初めて法廷に立った時に話した「カマラ・ハリスは国民のために」という言葉に導かれ、子どもや性暴力を生き抜いてきた人たちのために戦ってきました」「母は他人への奉仕は人生の目的と意味を与えると教えてくれました。今夜、母がここにいてくれればいいのにと思いますが、きっと母は天国から見守ってくれていると思います」「カリフォルニア州オークランドの病院で私を産んだ、25歳のインド人の母親が、今日、私が皆様の前でこの言葉を口にするなどとは、想像すらできなかったと思います。副大統領候補への指名を受諾します」「
 およそ17分の演説。カリフォルニアのベイエリアで育った人生の初期の頃、母親のアメリカへの旅、両親の関係とその後の分裂、そして「家族を第一に」について話した。「人種差別のためのワクチンはありません」。
 父方のジャマイカは人口のほとんどがイギリス統治時代にアフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫の黒人である。イギリス女王を国家元首とする立憲君主国でイギリス連邦の一員だが政治的には独立している。キューバの影響を受けて社会主義政権が成立したが親米派が巻き返し政権交代が続く。ボーキサイトとコーヒー、レゲエ、ウサイン=ボルト。
 母方のインド系の方はエリートで奴隷制とはあまり関係ない。そもそも「黒人」って何だろうかと考える。外交が得意なのはバイデンでインド系は400万人。反トランプの受け皿としてはこの上ない人選なのだろう。

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