震災とインド原発

震災から8年が経過した。インド洋大津波でインドは、一二四〇七人の死者を出している。原発建設反対運動が続くインド南部のクダンクラムの海岸では、家を流された住民が避難住宅で暮らしている。一方で女川町ではインド文化が過疎の町に元気を与えている。

(カルパッカム)インド洋大津波では、インド南部の原発が浸水により冷却水を送れなくなるというトラブルがあった。カルパッカムの発電所は、インド南部タミルナドゥ州の州都チェンナイの南八十キロの海沿いにある。マドラス原子力発電所と呼ばれるその施設は、発電、燃料再処理、廃棄物処理などに加え高速増殖炉もある。プルトニウム燃料の製造を行える施設で、インドの核開発の重要拠点となってきた。二二〇メガワットの原子炉を二基持ち、一号機は一九八三年七月に臨界を達成し、インディラ・ガンディー首相が見守る中、配電が始まった。インド発の完全国内建設の原子力発電所で、中間貯蔵施設もある。インドの核能力を向上するために建設され、国内原子力計画の基礎を築いた。
 二〇〇四年のインド洋大津波では、津波が施設に浸水し、作業員一人が死亡、宿舎では三七人が犠牲になった。冷却水としている海水の水位が上昇し、取水ポンプが使用不能となる事故だった。当時、運転中の原子炉は、核分裂連鎖反応制御棒が炉内に挿入され緊急停止した。原子力施設からの放射能漏洩等はなかったが、高速増殖炉建設現場やポンプ室に海水や汚泥が流れ込んだ。
 その後、運転は再開されたが、原子炉は冷却材喪失事故の最悪の場合でも安全を確保するため二重の閉じ込め状態で原子炉建屋に収容されている。加圧水型重水炉は当初設計出力より低い発電を行っている。減速材ポンプの中でひび割れた冷却系由来のジルカロイ片が発見されたため、出力を低下させている。

(クダンクラム)インド洋に面したタミルナドゥ州には、二〇一四年に商業運転を開始したクダンクラム原発もある。一号機は二〇一一年十二商業運転開始予定だったが、東日本大震災お福島第一原子力発電所事故を受けた住民の反対運動で操業が三年間にわたって延期された。
 インドはIAEA・国際原子力機関に加盟していないため、核関連の国際協力を得るのが当初、難しく、小規模な発電所が多かったが、一九八八年にロシアと原子力発電所建設で合意し、国営企業のインド原子力発電公社が、ロシア国営原子力会社ロスアトム社の支援を受けて建設された。
 クダンクラムでは、地元住民による建設反対運動が続き、二〇〇一年には地元の元大学教授ウダヤ・クマール氏がNGOを設立し反対運動を組織した。福島での事故から間もなく、試験運転を行ったため安全性評価や、環境影響評価の開示などを求める住民運動が盛り上がりを見せ、連日一万人以上が抗議運動に参加した。デモ行進や、女性たちによる道路封鎖、ハンストなどで、ジャヤラリタ州首相は、当初、国民会議派のシン首相に原発稼働見直しを求めていた。その後、州首相は稼働を認める方針を示し、原発周辺地域を武装警官隊で封鎖した。報道規制も行われ、NGOの幹部には逮捕状も出された。デモに参加した住民の逮捕者は六〇〇人以上に上った。反対運動は世界的な広がりも見せ、「インド・クダンクラム原発に反対する人々への弾圧に対する抗議声明」が州政府やインド政府、原子力発電公社に提出された。二〇一二年九月十日には
約千人が参加したデモに警官隊が発砲、一人が死亡した。反対運動に参加しようとした日本人も
強制退去させられている。
 クダンクラムでの印露協力を背景に、二〇一八年、ロシアの国営原子力会社ロスアトム社は 、インドの原子力庁と新たに原子炉六基の建設で合意。サイト名については明らかにされていない。
クダンクラムでは、運転中の一、二号機のほか、建設中の二機。計画中の二機のあわせて、ロシア製の原子炉六基が導入されている。印露は、バングラデシュのパドマ川沿いにあるルプールでの原発建設でも協力を進めている。バングラデシュは、低湿地にあり、津波はなくても、サイクロンで毎年のように大きな被害が出ていて、沿岸インフラは脆弱な地域だ。

(ジャイタプール)二〇一八年の、三月十一日にマクロン大統領がインドとの原発協力を進めた。
 ロシア以上にインドへの原発輸出に熱心なのがフランスだ。
 インド南西部のジャイタプールで六基のEPR・欧州加圧水型炉を建設する計画。総設備容量が約一〇〇〇万kWという世界最大級の原子力発電所建設になる。EDF・フランス電力がNPCIL・インド原子力発電公社と協力を進めている。仏印両国は、協力の枠組合意後、サプライヤーに事故があった際の賠償責任を盛り込んだインドの原子力損害賠償法で作業が棚上げとなっていた。また、建設予定地で激化した住民の抗議行動も計画を遅らせている。フランス側でも、原子力産業界の再編があり、コストの問題で交渉が停滞。しかし、マクロン大統領がモディ首相と会談し、コスト面に優れた電力やフランス側からの財政支援がインドに提供し、必要な燃料供給が保証され、機器製造技術のインドへの移転で協力することになって、計画が再び動きだした。
 計画を進めるのは、大手財閥のリライアンス・グループや、インドの総合重機メーカー最大手のトゥブロ&ラーセン社で、フランス側と協力する。
 ジャイタプール原発建設計画では、地元住民の反対運動が顕著だ。反対団体は、原発計画は、農民、漁民、女性や子どもなど、マハラシュトラ州コンカン地方の数万人の人々の暮らしを破壊の危機に追いやると主張している。六基の原発が並び立つ世界最大の原発密集地帯となるからだ。
 インド政府は、インドがNPTに加入しないまま原子力開発のための資材の提供を受けることができることになった二〇〇八年八月のNSG・原子力供給国グループ会合の直前に、インドの特別扱いへの返礼としてフランスから原子炉を購入すると発表した。
 フランスは自他ともに認める原子力大国だが、国際的な原子力産業の凋落や、フランスの原子力規制機関による深刻な安全性への懸念があるほか、フィンランドや中国やフランスでEPR建設がコスト的に予算を大幅に上回り、時間的にも遅延をくり返している。インドへの大型原発輸出はなんとしても成功させたいところだ。
(女川町) 東日本大震災では、インド国家災害対応部のレスキュー隊隊四十六人が、女川町での支援活動にあたった。それ以来、女川町とインド大使館との交流が続いていいる。インド大使館と、NPO日印交流を盛り上げる会が、女川町の協力のもと、東日本大震災復興支援行事として、インド文化省派遣マニプリ舞踊公演や、グジャラート州民族舞踊公演などを女川町で開催している。渋谷の代々木公園で行われている「ナマステ・インディア」の「 in 女川町」版も開催され、いまだに過疎の闘いが続く町を勇気づけている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください