1800万人は世界最大のインドのディアスポラ【ユニコーンを生む挑戦の歴史】

インドから世界に移住したり、海外でビジネスを展開しているインド系の人々を印僑という。全世界110カ国以上にいるとされる。英語ではNRI(Non Residential Indians=非居住インド人)と呼ばれる。英国が19世紀半ばに奴隷制を廃止しアフリカやカリブ海諸島、東南アジアなどのプランテーション労働にインド人が契約労働者として送られた。1965年の米移民法改正で移住しやすくなったアメリカには知識人や実業家そしてIT技術者や多国籍企業の職員へと続く。インド国籍のまま在住している人も多い。アジア系移民で最も所得が高く政治献金力もある。海外に住むインド系の人々の総資産は本国のGDPに迫る。

#東南アジアのインド人

20世紀に急増した主として東南アジアへのインド人移民がある。イギリス植民地支配下のインドは、綿花などのモノカルチャー化で貧困が過剰人口を生み出た。イギリスの植民地支配下にあったマレー半島では20世紀に入ってスズ鉱山やゴム農園が急速に拡大した。インド人が安価な労働移民として移住した。アメリカではクーリーと言われた。南アフリカ移民に対する差別問題はガンディーの独立闘争の形を作った。

ネルー政権の社会主義的な経済運営をきらって海外に移住したのがその始まりであるともいわれる。印僑によるインド投資にも注目。インド系住民が勢力をもつ国々は多い。イランはインドから難民を受け入れクウェートの建設現場はインド・パキスタン系が多い。季節労働者や出稼ぎ。

マレーシア マレー系61%、中国系30%、インド系8%
シンガポール 中国系77.2%、マレー系14.1%インド系7.4%
モーリシャス共和国 インド系68.3%、クレオール(黒人と白人の混血)28.5%、中国系3.2%
セイシェル共和国 クレオール89.1%、インド人4.7%
ジャマイカ アフリカ系黒人77%、混血15%、インド系3%、白人3%など
トリニダード・トバゴ 黒人41%、インド系41%、混血16%
ガイアナ インド系51%、アフリカ系30%、他は欧州系、中国系、先住民
スリナム共和国 クレオール35%、インド系33%、インドシナ系16%、黒人10%、中国系5%
フィジー共和国 フィジー系51.5%、インド系43.6%、その他5.3%

#Asianの意味

シンガポール市街のセラングーンロードにはインド人街のリトル・インディアがある。ヒンズー教のラクシュミー・ナーラーヤン寺院。英国ロンドンのインド人街はサウスオール。英国では「Asian」という言葉は、中国人や日本人、ベトナム人ではなくて、南アジア人をさすとのこと。パリ10区にもインド人街。中国人街は20区、北アフリカ人街は18区やバンリウ。ニューヨーク・クイーンズ区にあるジャクソン・ハイツのインド人街は1960年代以降、移民制限廃止で発展した。

サンフランシスコのベイエリアでシーク教徒のアメリカ人がインドの新しい農場法に反対する集会を開いた。インドのディアスポラは世界最大。2020年には祖国の外に1800万人が住んでいると国連が報告した。インドからの移民はアラブ首長国連邦、米国、サウジアラビアの順に多い。インドのディアスポラは、湾岸から北アメリカ、オーストラリア、英国まで、すべての大陸と地域に存在していることが特徴。一つの地域に偏っていない。活気に満ちたダイナミックなディアスポラ。

報告書「国際移住2020(ハイライト)」はメキシコとロシア(それぞれ1,100万人)、中国(1,000万人)、シリア(800万人)とリポート。インドの大規模なディアスポラは、アラブ首長国連邦(350万人)、米国(270万人)、サウジアラビア(250万人)。他の国には、オーストラリア、カナダ、クウェート、オマーン、パキスタン、カタール、英国。2000年から2020年の間に約1,000万人で最大の増加を経験し、シリア、ベネズエラ、中国、フィリピンが続いた。インドからの移民は2000万規模といわれていたので、計算の仕方が異なるのだろう。

#国連報告 

移住は主に労働と家族の理由。強制移動は少なく自発的な海外進出。湾岸諸国では、建設、ホスピタリティ、ケアサービスで働く。その国の経済的繁栄において中心的な役割を果たす。高度なスキルを持つ科学者、エンジニア、医師もいる。米国は、2020年に5,100万人の移民を抱える国際移民の最大の目的地で世界全体の18パーセントを占める。ドイツは世界で2番目に多い約1600万人の移民を受け入れる。サウジアラビア(1300万人)、ロシア(1200万人)、英国(900万人)。

報告書によるとCOVID-19のパンデミックにより、2020年半ばまでに国際移民の増加が約200万人減り2019年半ば以降に予想される増加より27%少ない可能性がある。ただし国際移民の数は過去20年間で堅調に伸びており、2020年には2億8100万人に達し、2000年の1億7300万人、2010年の2億2100万人を大きく上回る。国際移民は世界人口の約3.6パーセントを占めている。

2000年から2020年の間に、179の国または地域で移民の数が増加しました。ドイツ、スペイン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、および米国は、その期間中に最も多くの移民を獲得。対照的に、53の国または地域で国際移民の数が減少。アルメニア、ウクライナ、タンザニアのほか、インド、パキスタン最も顕著な減少を経験。多くの場合、減少は移民人口の老齢または難民と庇護希望者の出身国への帰還に起因。

#コロナと印僑

地域移住回廊に関しては、2000年から2020年の間に、一部の地域移住回廊は非常に急速に成長。中央アジアと南アジアから北アフリカと西アジアへの回廊が最も成長し、2000年から2020年の間に1,300万人の移民が追加されました。サイズが3倍以上。増加の大部分は、バングラデシュ、インド、パキスタン、ネパール、スリランカから湾岸協力会議(GCC)の国々への労働力の移動によるものと報告書。しかし多くのGCC諸国では、建設、ホスピタリティ、小売、運輸部門の何千人もの移民労働者がパンデミックのために職を失い、帰国を余儀なくされた。

世界銀行の予測によるとパンデミックで低中所得国に送金される送金の量は、2019年の5,480億米ドルから、2021年には4,700億米ドルに、14%減少する可能性がある。インドは世界中の送金先の主要国であり、2019年にはディアスポラが830億米ドルを送金した。世界銀行は、2020年にはその金額が約9%減少して約760億米ドルになると予測している。

#NRI/PIO

インド系移民(People/Persons of Indian Origin, PIO)と在外インド人(非居住インド人、Non-Resident Indians, NRI)がある。総称してNRI/PIOともいう。インド共和国の系統を持って同国に在住しないインド系の人々。在外インド人 (NRI) はインド国籍を保持・取得している国外居住者を意味し、インド系移民 (PIO) は非インド国籍になった者とその子孫を意味する。日本語ではこの両方を含む意味合いで「印僑」という術語が用いられることも多い。
1830年代から、プランテーションでのサトウキビ栽培を目的とした出稼ぎ労働者として、単数年契約でモーリシャスやフィジーなどへ移住。奴隷並みで契約期間が切れても帰国できない者が多かった。19世紀半ばにインド洋の覇権をイギリスと争ったザンジバル・スルターン国でインド出身のジェイラム・シヴジが巨大な財力を握りザンジバルへのインド人の移住も進んだ。フレディ・マーキュリーがいる。両親はパールシー(ペルシャ系インド人)。

#苦難の歴史

1870年代以後、技術者、商人、その他専門職として南アフリカ連邦やマレーシアなどで成功した印僑が現れ他にもイギリス植民地であった西インド諸島のトリニダード・トバゴや南アメリカのガイアナ、東アフリカのタンガニーカ、ケニア、ウガンダなどにインド系移民の移住が行われた。1947年にインドが独立を果たした後は、再び肉体労働を目的に中東諸国へ渡る者達と、知的労働を目的として欧米に渡る者達が出た。
1964年にザンジバルで勃発したザンジバル革命により、ザンジバルで商業や金融業を営んでいたインド系住民が多数亡命し、1970年代のウガンダでは、バントゥー系黒人をインド系住民より重視したイディ・アミン大統領がインド系住民を追放した、とのこと。
2019年9月22日には、テキサス州ヒューストン市NRGスタジアムにてインド系アメリカ人による5万人規模の集会が開催された。モディ首相とトランプ大統領も出席して盛り上がりを見せた。

#ユニコーンの資金

現在、海外に住むインド系の人々の総資産は、1兆ドル以上とも試算されている。インドの海外送金受領額は年に数百億ドルにも達し豊富な資金の流入はインド国内にスタートアップやユニコーン企業が生まれている。

Google CEO サンダー・ピチャイ
マイクロソフトCEO サティア・ナデラ
ノキア CEO ラジーブ・スリ
アドビシステムズ CEO シャンタヌ・ナラヤン
マスターカード CEO アジェイ・バンガ

#神戸の活気

以下引用。「神戸港における華僑の対東南アジア向け輸出は1929年に7500万円を記録し、これは神戸港の対東南アジア全輸出額の7割を占めた。在神戸印僑の輸出額は29年には1680万円(神戸港の対英領インド輸出額の33%-以下同様)であり、32年には1288万円(21%)へと減少するが、36年には7865万円(80%)へと急激に回復する。36年の在神戸華僑/印僑の輸出額は神戸港の対東南アジア/英領インド輸出全額の約半分を占めたことになる。
1929年の輸出額を基準(100)と考えれば、36年に華僑の輸出額は73にまで回復し、印僑のそれは466に拡大した。
在神戸印僑は30年代を通して、1社当りの資本金を低下させながら取引額をふやしたことになり、これは30年代に比較的小さな資本金規模の印僑が新規に参入し、日本製品の取引に積極化したことを示していた。印僑は比較的流動的であり、状況の変化に敏感に反応する側面を有していたと考えられる。大不況と植民地経済のブロック化の時代と認識されてきた1930年代において、アジア通商網は崩壊するものと認識されてきたが、条件の変化に敏感に反応する華僑、印僑の通商活動によって日本製品のアジア市場における取引は停滞することなく、むしろ拡大したのであった」。講座『世界歴史-移動と交流』岩波書店。

#まき散らされた種

ディアスポラ(διασποラ)は植物の種などが「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉。パレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人およびそのコミュニティに使われた。日本人のディアスポラは朱印船時代のアユタヤ日本人街を経て、明治以降はハワイに、北米大陸に、中南米諸国に日本人が移動した。第二次大戦以降は経済的困難な時代の移民という形や、その後の経済進出、または海外在住退職者などで、海外に日本人コミュニティーができた。

 ユニコーンを生んでいるのは世界に進出したダイナミックな人の流れと苦難と挑戦なのだろう。

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