ボヘミアンラプソディ

イギリスのロックバンド、「クイーン」のリード・ボーカルのフレディ・マーキュリー(1946年9月5日 – 1991年11月24日)は、インド系の移民だ。ファルーク・バルサラといグジャラート語の出生名を持っている。ムンバイ近郊の寄宿学校セントピーターズ・スクールに通っていた頃に「フレディ」と名乗るようになった。フレディは、イギリスの保護国だった今のタンザニアにあるザンジバル島のストーン・タウンで生まれた。両親はインド生まれのゾロアスター教徒で、植民地政府事務所で会計係として働くためザンジバルへの移民となった。
 シンガーソングライター、音楽プロデューサーでもあったフレディは、 「ボヘミアン・ラプソディ」や「伝説のチャンピオン」などのヒット曲を作詞作曲。ポピュラー・ミュージックの歴史の中でもっとも偉大なシンガーの一人で、観客を惹き付ける優れたステージ・パフォーマンスと広い(F2-E6)ボーカル・レンジで知られる。
 フレディはインドで幼少期の大半を過ごし、7歳の頃にピアノを習い始める。1954年、8歳でムンバイ郊外のパンチガニにある全寮制の英国式寄宿学校、セント・ペーターズ・ボーイズ・スクールに通い、この頃から複数のロックバンドで活動し、ピアノとヴォーカルを担当した。ボリウッド歌手のラター・マンゲーシュカルが彼のミュージカル形式に影響を与えたといわれている。。
 ラター・マンゲシュカルは、プレイバック・シンガーと呼ばれる吹き替え専門の歌手。その「伝説的」存在となっているのが1929生まれで、60数年のキャリアの間に4万曲以上を吹き込んだことで、「もっとも多くの録音を残してきた歌手」としてギネスブックに出ている。
 フレディは、1963年にザンジバルに戻って家族と一緒に暮らし始めたが、その翌年にはザンジバル革命が起こり、アラブ人とインド人の多数の死傷者が出た。当時17歳のフレディとその家族は、安全上の理由でザンジバルから逃れイングランドに移り住んだ。
 ザンジバルは、アフリカ大陸東岸、インド洋上のザンジバル諸島最大の島で、タンザニア連合共和国に属する。南北80km、東西30km。西海岸にはザンジバルの首都ザンジバルシティがある。アフリカ大陸とザンジバル海峡で隔てられた島は、島の周囲の砂浜と珊瑚礁によってリゾート地としても知られる他、世界遺産であるストーン・タウンがある。ザンジバルもインドと同様、イギリスの支配を受けたが保護国時代は1963年まで続いた。1890年に、ザンジバルを保護国としたイギリスは、ザンジバルの住民を分割統治する政策を打ち出し、住民をアラブ人、インド人、アフリカ人に分類した後、官吏にアラブ人を、商業、金融業にインド人を、肉体労働にアフリカ人を割り当てた。1961年の総選挙を制したアラブ系のザンジバル・ナショナリスト党によって1963年12月10日にザンジバル王国は独立を達成した。 ザンジバルは、10世紀頃から,アフリカ大陸内陸との交易基地として繁栄。特に奴隷の積出港として有名で、ザンジバルの地名はアラビア語で「黒人奴隷の町」の意。 イギリスに支配された島の歴史を反映して、アラブ風の狭く曲がりくねった道路や奴隷市場の跡がある。ザンジバル市は奴隷と象牙の集散地として知られた。
 ザンジバルは、クローブの生産で知られる。フレディの楽曲やパフォーマンスにスパイスの香があるのはそのせいなのかもしれない。 ###

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