農業支援

オサマ・ビン・ラディンの足跡を追ってパキスタンとアフガニスタンの国境地帯を彷徨っていた。どこを取材するのか、情報源は住民の証言と、協力金目当てに近づいてくる怪しげなイスラム過激団体を名乗る人物たち。ほんのかけらの情報をもとに動く。異「国」という枠組みさえない無法地帯は、近代以前にタイムスリップをしたか、時に埃の舞う街の光景は別の星にいるかのような錯覚を覚えることもあった。日常と非日常がないまぜになる危険地帯。世界の矛盾がそこに吸収されていく。
 ペシャワールは、世界の中心だと直感した。西欧とイスラムと、法とテロと、近代と近代と、そこにビン・ラディンが足跡を残していた。その先に向かおうとしていたのがジャララバードだった。通常の感覚では近づくことはできない場所だ。日常と非日常が交錯する危険地帯。
 1983年からパキスタンでの医療活動から始まり、隣国アフガニスタンで農業用水路の建設などによる復興に携わってきたNGO「ペシャワール会」(事務局・福岡)の現地代表の医師、中村哲が2019年12月4日、アフガニスタン東部で車で作業場への移動中に銃撃され、亡くなった。ペシャワール会によると、中村は右胸などに銃弾を受け、ジャララバード市内で緊急の手当を受けたが帰らぬ人となった。現地の中村専属のドライバーなど5人も、銃撃に巻き込まれ死亡した。
 2000年代のアフガニスタンの大干ばつで難民の診療から専門外の農業分野にまで拡大した。現地の人と1600基の井戸を堀った。巨石をも押し流す濁流を治水し、2003年からは灌漑用水路の建設を始めた。もともとアフガニスタンは、農業国。ソビエトの南下、テロ戦、ジハード、潜行するイスラム過激派、軍事訓練。翻弄されテロの地となったアフガニスタンを土地から変えた。クナール川周辺は肥沃な土地に蘇った。医は仁術なり。中村さんにとっては医療も農業も同じことを指す言葉だったのだろう。
 2003年にはアジアのノーベル賞と言われる「マグサイサイ賞」の平和・国際理解部門賞を受賞。2019年10月には、アフガニスタンのガニ大統領から、同国市民証を授与された。日本人なのにアフガニスタンの「名誉国民」。
 2008年8月にはアフガニスタン現地で働いた伊藤和也さんがタリバンの武装グループに拉致、射殺された。31歳。伊藤さんは現地での農業計画に従事していた。中村さんの苦痛ははかりしれない。
 中村さんは命がけで生きた。73歳。よい種を選び、水を引き、皆で協力し、収穫を祝う。日本と同じ文化。アフガニスタン本来の農業文化。アフガニスタンのことを忘れてはならない。

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