テセウスの船、移植を通して自分とは何かをインドの映画は深くえぐる

真犯人は近くに。鏡の中の自分が一番奥深い。「テセウスの船」は、「船の部品を全部交換したとして、それは前と同じ船と呼べるのか?」というギリシャ神話のパラドックス。それをタイトルにした映画『テセウスの船』でインドのアーナンド・ガーンディ監督は、角膜移植を受けた盲目の女性カメラマンを描き、2012年・第25回東京国際映画祭コンペティション部門で最優秀芸術貢献賞を受賞した。

 主人公の写真家は角膜移植手術で視力を回復させるが、新しい視覚に順応するのに苦労し、自分の写真に不満を感じて苦悩する。インドでの動物実験の禁止を訴える修道士は、自分が肝硬変と診断され反対していた薬物療法を受け入れる。貧しい煉瓦職人は、移植された自分の腎臓が盗品であることを知り本来のレシピエントの存在を知る。臓器移植をめぐる問題に直面した人々の葛藤を描く。

 長年、インドは「腎臓の倉庫」と言われてきた。1994年まで、インドには臓器移植を制限する法律がなかった。貧しい人々が二つあるうちの一つの腎臓を売り、移植用の臓器が不足するなかで、一部の国で、本人の同意のもと臓器とひきかえに金銭の授受が行われてきた。30年前に先輩記者が取材したころ腎臓は20万円。年収の5倍の金額だった。1994年インドでは、臓器売買を禁止する法律が制定される。しかし法律は臓器売買を闇市場に追いやった。姉の結婚資金のために腎臓を売った男性もいた。

 哲学者プラトンは、人間は自分自身の存在の洞窟に閉じ込め、一時的なものを永続性があると誤って信じていると説く。映画『テセウスの船』の最後のシーンでは、探検している洞窟の壁に人の影が見える。彼の臓器を受け取った人は、洞窟から抜け出せない。

 TBS系のドラマ『テセウスの船』(日曜夜9時)の軸となったのは、1989年に宮城・音臼村の小学校で起こった無差別大量殺人。劇中の事件は、平成の凶悪事件と同じものがある。小学校で起こった大量無差別殺人というと、2001年の大阪教育大附属池田小学校での児童殺傷事件。1997年に神戸で起こった14歳の少年による連続児童殺傷事件。1998年に和歌山市内の夏祭りで起こった毒物カレー事件。1980年代のロス疑惑や豊田商事事件でのメディアスクラム。鏡の中の自分が一番奥深い。

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