トリコロールのフランスはワインも作り始めたインドに助けを求めるのか
フランス好きでもあるのでポンディシェリにはあこがれの気持ちで訪れた。インドというと英国支配が知られるがフランスの東インド会社は南部の大半に影響力を広めていた。両国の関係は可能性と影響が大きい。どちらも文化と伝統の国だからだ。
スラ・ヴィンヤーズはインドのワイン。スタンフォード大学を卒業後,シリコン・バレーでファイナンシャル・マネージャーとして活躍していたラジーブ・サマントが故郷のインドに戻り,1997年に創設した。フランス,イタリア,イギリス,アメリカ,カナダといった古くからのワイン消費国に輸出されている。アラン・デュカスの三ツ星レストランにもリストされているという。『ルヴュ・デュ・ヴァン・ド・フランス』も高く評価している。スラのワインは世界に通用するアジア最高のワインなのだ。NHKスペシャル「インドの衝撃」の番組中にも登場した。「スラ・ヴィンヤーズ ブリュット」はシャンパンと同じく瓶内の気圧が高く、抜栓するとスパイシーな果実の香りと、リンゴ、オレンジなどの柑橘系の心地よい苦味が特徴。
スラ・ヴィンヤーズは、ムンバイの北東のナシクという海抜600メートルの高地にある。スペインやカリフォルニアに似た気候。1997年にソーヴィニヨン・ブランとシュナン・ブランを植樹し2000年に初めてのワインが誕生したという。シュナン・ブラン,ソーヴィニヨン・ブラン,カベルネ・ソーヴィニヨン,メルロー,シラーと扱う品種も多い。もともと自然志向が強いインドに向く果物栽培で、堆肥の使用で土もいいらしい。
このナシクのほかにも、北部のヒマカル、中西部のサンガリ、南部のベンガルなどにインドのワイナリーは点在。日本企業の進出が多いベンガルールの近郊にもワイナリーがありツアーも開催されているとのこと。
ワインの本家、フランスのボルドーのワインは中国に向かっている。ボルドーのシャトーでは中国の旗がはためく。ワイン産業を支えているのは中国の消費者だ。
新型コロナウイルスでは、フランスの自動車大手ルノーのインド法人ルノー・インディアがインドの工場の操業を停止すると発表した。フランスの自動車大手グループPSA(旧プジョー・シトロエン・グループ)傘下のシトロエンは4月7日、高級スポーツタイプ多目的車(SUV)「C5エアクロス」のインド市場への投入を、予定していた今年9月から来年1~3月に延期すると明らかにした。
(東インド会社)インドの中のフランスと呼ばれる「ポンディシェリ」。インドはかつてほとんどの地域がイギリス領土になっていたが、旧フランス領の街も残っている。ポンディシェリでは、フランス大統領選挙の際には国民として票を投じた。海岸沿いにはコロニアル調の街並みが広がる。ポンディシェリは飲酒にも寛容。フランス式のレストランも多い。キリスト教徒が多くポンディシェリでは牛肉のハンバーグやステーキを食べることもできる。コーヒーもインド式のもののように甘すぎない。
フランス東インド会社は1664年、ルイ14世時代にコルベールによって創始された。インドのコロマンデル地方のポンディシェリとベンガル地方のシャンデルナゴルを拠点にイギリスと対抗したが、1757年のプラッシーの戦いで敗れ、インド経営から後退、1796年に解散した。
(以下リンク先より引用)フランスのインド進出は、1520年代にルーアンの商人が仕立てたフランス船がマラバール海岸に到着したのが始まりとされる。1600年にはイギリス東インド会社、1602年にはオランダ東インド会社が設立されたが、フランスの東インド会社の設立は、遅かった。1664年、ルイ14世の時代の財務長官コルベールの提唱によるものとされる。それ以前はフランスのアジア交易の拠点はマダガスカル島でインド洋に面したペルシアやインド、東南アジアと交易を行っていた。重商主義政策を推し進めたコルベールは南北アメリカ大陸との交易にあたる西インド会社も設立している。1719年に東インド会社は、西インド会社およびアフリカの奴隷貿易を行うセネガル会社などと合体して、「インド会社」となった。
オランダ人で平戸のオランダ商館最後の館長でのちにフランスに仕えたフランソワ=カロンが、1667年、インド西北部のスラットやベンガルなどに商館を建設。木綿(キャラコ)・胡椒などを輸入した。1674年に東海岸のポンディシェリの土地を購入して要塞を築き、インドにおける中心拠点とした。ベンガル地方にはシャンデルナゴル、コロマンデル海岸のマスリパタムなどにも商館を設け、さらにインドへの中継基地としてインド洋上のモーリシャス諸島(フランス島)、レユニオン島(ブルボン島)を領有している。
18世紀半ばにはフランスのインド総督デュプレクスがポンディシェリを拠点に第1次と第2次のカーナティック戦争では、イギリスを圧倒する働きを見せたが、本国政府がデュプレクスの独断専行的な動きを非難して召喚すると、第3次、1758~61年の第3次カーナティック戦争ではクライヴに指揮されたイギリス東インド会社軍に敗れ、並行して戦われたベンガル地方での1757年のプラッシーの戦いでも、フランスはベンガル太守と結んだがイギリス東インド会社軍に敗れ、インドの主導権を失った。
1763年のパリ条約で、フランスはポンディシェリとシャンデルナゴルの領有は回復したが、その他の権益はすべて放棄し、インドにおけるイギリスの覇権が確立した。(引用終わり)
(首脳外交)モディ首相がフランスを訪れたのは2015年04月9日。フランスからドイツそしてカナダを訪問した。2014年の首相就任後、初となる欧州訪問の主なねらいは、製造業をインドに誘致することだった。日本や米国などの訪問で企業誘致やインフラ投資への支援で成果を上げたモディ首相の“トップセールス”だった。フランスでは、エアバス社の工場などを見学し、航空技術での支援をとりつけた。合弁会社の設立などにより、航空機やヘリコプターの製造への道筋をつけた。
2018年3月10日から12日の期間には、フランスのマクロン大統領が国賓としてインドを訪問した。仏印共同声明では「戦略的パートナーシップ」が発表された。仏印両国は、秘密情報保護協定に調印し、閣僚級の防衛対話を毎年開催することに合意。「インド洋地域における仏印協力の戦略ビジョン」を策定し、国際法に基づき、海上におけるテロや海賊に対処する等、国際シーレーンの安全を守るために仏印協力は不可欠だとした。両国は「後方支援相互提供協定」にも調印している。定期的な合同軍事演習については、2017年4月にフランスで開催されたヴァルーナ海軍演習や2018年1月のシャクティ陸軍演習がある。2019年のフランスでガルーダ空軍演習など協力が強調される背景には、ラファール戦闘機を含む装備品調達がある。カルヴァリ級潜水艦、インド製初のスコルピーヌ型潜水艦がフランスの造船会社の協力のもとに建造することになった。
両国はすでに2016年1月にテロに対する共同声明を発表している。テロの温床やネットワーク、資金源等を根絶し、アルカイダやISIS等のように国境を越えるテロ活動や南アジアやサヘル地域の平和を脅かすテロの防止に共同してあたるとしている。国連安保理決議1267を遵守するよう呼びかけ、国際テロ包括条約(CCIT)が早期に採択されるために協力するとした。原子力協力では、2008年の仏印原子力平和利用協定に基づき、NPCILとEDFが、世界最大級の原子力発電となるインドのジャイタプールに6基の原子炉を建設するとしている。
モディ首相は、2017年6月、マクロンが大統領に就任して間もない時期にもパリを訪問して仏印首脳会談を行っている。その際の協力の成果は地球温暖化対策でパリ協定を受けて国際ソーラーを強化することで、両国は太陽光サミットを共催している。
インドとフランスには協力の可能性はあっても対立する問題が少ない。両国の関係が少なくとも表向きウィンウィンなのは、双方のリーダーの勢いや相性というより、地政学的な動かしがたい要因が大きい。つまり誰がやっても進むべき道は限られるということだ。 中国の台頭で仏印防衛協力は舞台をインド洋とすることでシナジーが高まっている。日米豪印(同盟)を外から加速するために日本への影響も大きい。フランスのフリゲート艦「ヴァンドゥミエール」は晴海に寄港し海上自衛隊の「ゆうぎり」との合同訓練も行なっている。防衛装備品の協力も日印が協力できない部分のうちフランスとかぶる分は回避される方向に働くだろう。つまりグループ内での多国間での共同開発、共同生産を加速させることになる。
化石資源に乏しく、核保有国であり、大国の条件として原子力開発を行うという点で両国は重なる。技術と実績で先行するフランスが未開拓のインドに進出するのはウィンウィンの関係だ。クリーンなエネルギーの原子力は停電続きのインドに必須になっている。
2019年6月18日には、インドのスワラシ外相とル・ドリアン外相がパリで会談。フランスとインドの戦略的パートナーシップを締結20年の協力を確認した。イランの核問題でのウィーン合意の協力も確認された。2017年に90億ユーロだった貿易額を拡大する方策が話し合われた。フランスとしては、都市開発やエネルギーの分野で、インドにおけるフランスの経済的プレゼンスを強化し、書籍と映画の分野での存在感の拡大も目指したい。
(インド太平洋)日本との関係では新幹線も気になるところだ。インドは日本が協力する、ムンバイ―アーメダバード以外にも5本以上の高速鉄道計画を持っている。新幹線計画がなかなか進まない中、ユーロスターの技術を持つフランスはインドの可能性を見逃せない。
ただ日本にとって最も大切なのはインド洋をめぐるパワーバランスと外交だろう。2018年3月の仏印首脳会談でインド洋での軍事協力強化で協定を締結し中国の海洋進出をけん制した形となった両国だが、問題はそれほど単純ではない。
二人は固い抱擁と握手を交わす。両国は2018年3月の首脳会談では、軍基地の相互利用を認め、インドは、フランスのインド洋の海外領土レユニオン島のほか、中東のアブダビ、アフリカのジブチに海軍基地への寄港が可能になった。
フランス国防省は2019年2月21日、原子力空母シャルル・ドゴールを近くインド太平洋に派遣すると発表。中国が軍事的増強を進める中、日本やインドとの海洋共同訓練を行い、積極関与を示した。仏国防省によると、空母にはラファール戦闘機約20機が搭載され7月にインド軍との共同訓練を実施。インド洋で海上自衛隊との共同訓練に臨んだ。マクロン政権は国防戦略で「インド太平洋地域の安定化」を打ち出し、日本とは物資・役務を融通し合う物品役務相互提供協定(ACSA)を結んでいる。フランスは、アフリカ沖から広がるインド太平洋地域に約7千人の部隊を常駐させている。太平洋のニューカレドニアや仏領ポリネシアに駐屯基地がある。
マクロン大統領は2019年11月4日、中国を訪問。中仏はインド太平洋の安全保障で対立が表面化していた。マクロンは、中国を競争相手と警戒する。中国が「一帯一路」構想を掲げて東欧諸国や債務国ギリシャ、ポルトガルに投資攻勢をかけているからだ。EUを分断されては困る。マクロンは中国市場へのEU企業のアクセスを要求した。農産物や航空分野で仏企業の中国進出を促す。マクロンは対中包囲網を進める。南シナ海では、米国の「航行の自由」作戦に同調して仏艦船を派遣。2019年4月には台湾海峡でフリゲート艦を航行させ中国から抗議を受けている。
(ラファール)インド空軍向けラファールの一号機が2019年10月8日、空軍創設記念日に引き渡された。式典後、シン国防相は隣接するフランス空軍第106ボルドー=メリニャック基地で複座型のラファールBに乗って飛行した。ラファールはインド空軍が中型マルチロール機(MMRCA)として36機を2016年に発注。インド空軍ではフランス製戦闘機用いてきたミラージュ2000の後継という位置づけだ。式典はボルドー=メリニャックにあるダッソー・アビアシオンの事業所で開催された。ラージナート・シン国防相、フランスからはフロレンス・パルリや、ダッソー・アビアシオンのエリック・トラピエCEOが出席した。
ラファールは中西部のナーグプルに合弁工場を建設し生産される。プネーには「ダッソー・スキル・アカデミー」の設立も発表されている。インド空軍のラファールは、36機全てが納入されるのは2022年の4月~5月とのこと。###