アパッチインディアンの曲が注目されているインド系移民について調べてみました

インド系移民には各方面での有名人が多い。インド独立運動家のA.M.ナイルは、日本初のインド料理専門店ナイルレストランを経営した実業家。アナスタシア・マルフォートラはプロテニス選手。父がインド系イギリス人。和泉新は父がインド人のサッカー選手。兼高かおるの父もインド人。ダース・ローマシュ匡はプロ野球選手で父がインド人。
 クイズ番組で見かけるミュージシャンのグローバー義和も父がインド人。インド出身の演歌歌手チャダは活動歴も長い。もっと長い女優の真理アンヌは父がインド人。ケララ出身のラジオパーソナリティのサニー・フランシス。投資家の村上世彰は父がインド人。神戸出身のモデルRENAも父がインド人。
 モデルのローラは父親がバングラデシュ人。グラドルのアイヴィも父親がバングラデシュ人。歌手のシェネルは母親がインド人とオランダ人のハーフ。モデルの谷まりあは、両親がパキスタン人と日本人。外国人タレントのアントン・ウィッキーは英領セイロン出身。にしゃんた教授もスリランカ出身。
 1944年4月3日、パンジャブ州に生まれたシク教徒のタイガー・ジェット・シンは、の本名はジャグジート・スィン・ハンス。インドの狂える虎、インドの猛虎として名をはせ、サーベルを振りかざす姿で悪役レスラーとしてプロレスファンの人気を集めた。
 インド系移民は世界各地にいる。ロックバンドのクイーンのフレディ・マーキュリーの両親はペルシャ系インド人。
 アメリカでは、元サウスカロライナ州知事でアメリのカ国連大使を務めたニッキー・ヘイリー。 アメリカ下院議員のロー・カンナ。BOSE創業者のアマー・G・ボーズ。IT関係は多数。実業家ではラクシュミー・ミッタル。シティグループCEOのヴィクラム・パンディット他多数。
 シンガポール大統領のS・R・ナザンは英領マラヤ出身。同じくシンガポール大統領のデヴァン・ナイルやハリマ・ヤコブ。モーリシャス初代首相のシウサガル・ラングーラムと息子のナヴィン・ラングーラム首相。ガイアナのチェディ・ジェーガン元大統領は砂糖プランテーションの労働者の息子。エアアジアCEOのトニー・フェルナンデスは父親がインド人、母親がポルトガル系マレーシア人。スペース・シャトル・コロンビア号乗組員だったカルパナ・チャウラもインド出身で小惑星カルパナ・チャウラの名の由来となった。
 旧イギリス領西インド諸島トリニダード島のインド人の家系に生まれた作家のV・S・ナイポールは
トリニダードのインド人社会を舞台にした小説を書き、1971年に『In a Free State』でブッカー賞を受賞、2001年にノーベル文学賞を受賞した。
 ラッパーのニッキー・ミナージュもトリニダード・トバゴ出身。
 ピアノ弾き語りジャズ歌手&ジャズ・ピアニストのノラ・ジョーンズ(Norah Jones、本名:Geethali Norah Jones Shankar、1979年3月30日 – )は、の父はビートルズにも影響を与えたシタール奏者ラヴィ・シャンカル、異母妹はイギリス人シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカル。
 2002年に映画『ベッカムに恋して』で、サッカーに夢中になる主人公の女子高生を演じパーミンダ・ナーグラは、両親がインドからの移民でパンジャブ語を流暢に話すイギリスの女優。『ER緊急救命室』で演じているインタ―ンはイギリスに移民したインド人夫婦の娘という設定。『ベッカムに恋して』を監督したグリンダ・チャダはケニヤのナイロビでインド人両親の間に生まれロンドンのインド人街であるサウスオールで育った。日系アメリカ人の映画プロデューサーであるポール・マエダ・バージェスと結婚している。
 指揮者のズービン・メータは、ムンバイののゾロアスター教徒の家庭に生まれた。母語はグジャラート語で、父のメーリ・メータも指揮者でボンベイ交響楽団の指揮者として活動した。
 バーミンガム出身の在英インド系レゲエ・シンガー、アパッチ・インディアンは、インド本国大ヒットしている。釈迦楽、釈迦楽(シャカラク)と繰り返すバングラ・ビートで「洋楽」をアレンジし受けている。アパッチは、「敵」を意味する現地語をフランス人が広めたもので本来の自称は「インデ」など。もともと南部大平原でバッファローなどを狩る部族で、弓はバッファローの腱を膠で何層にも塗り重ね他部族よりも強力に矢を射ることができた。好戦的で、領土に入りこむ異民族を襲撃し白人達を怖れさせた。
 マイケル・オンダーチェは、『イギリス人の患者』、『アニルの亡霊』で知られる英連邦王国セイロン生まれの詩人。イギリスからカナダに移住し、カナダの市民権を得ている。ブッカー賞を受賞した『イギリス人の患者』は映画化され『イングリッシュ・ペイシェント』が第69回アカデミー賞で作品賞・監督賞など9部門を受賞した。
 ロシャン・セスは、ビハール州パトナ出身。ヒンドゥー教徒の父とインド人とイギリス人のハーフの母の間に生まれた。1982年の映画『ガンジー』でジャワハルラール・ネルーを演じ、第36回英国アカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。弟は元外交官のアフターブ・セット。
1982年の『ガンジー』でアカデミー主演男優賞を受賞したベン・キングズレーの父はインド人の医師で母はイギリス人のファッションモデル。父はケニア生まれで、先祖はイギリス領インドのグジャラートからやってきたイスラム教徒だった。父方の祖父は香辛料を売買する商人で、インドからザンジバルへ移住した。『ガンジー』のほか『シンドラーのリスト』『ヒューゴの不思議な発明』などに出演。
 カナダのファッションモデルのヤスミン・ゴーリは父親がパキスタン人で母親がドイツ人。褐色の肌に手足の長いエキゾチックな容姿で人気を博した。ケベック州モントリオールで生まれ1990年にニューヨークに移りジャンニ・ヴェルサーチ、シャネル、ジバンシーのコレクションに起用された。1990年代のスーパーモデル。

 インド系移民と呼ばれる人には、在外インド人と”People of Indian Origin, PIO”と非居住インド人”Non-Resident Indians, NRI”がいる。PIOはインド以外の国籍になった者とその子孫で、NRIはインド国籍を保持・取得している国外居住者で、日本語ではこの両方を含む意味合いで「印僑」という。印僑のNRI/PIOは、インド系のディアスポラとも呼ばれ、1500万人人を超え世界の最大。
 インド系移民の大多数はイギリスの植民地であった英語圏にいる。三段階にわかれる。最初は1830年代から、プランテーションでのサトウキビ栽培を目的とした出稼ぎ労働者として、単数年契約でモーリシャスやフィジーなどへ移住したが、奴隷並みといわれる過酷な労働条件で契約期間が切れても帰国できない者が多かった。19世紀半ばにはインド洋の覇権をイギリスと争ったザンジバル・スルターン国でインド出身のジェイラム・シヴジが巨大な財力を握りザンジバルへのインド人の移住も進んだ。
 1870年代以後、技術者、商人などとして南アフリカやマレーシアなどで成功した印僑が現れた。マハトマ・ガンディーも南アフリカで活動していた。イギリス植民地の西インド諸島のトリニダード・トバゴや南アメリカのガイアナ、アフリカのケニア、ウガンダなどにインド系移民が移住した。
 インド独立後は、中東諸国へは建設現場などの肉体労働で渡り、欧米には数学や英語などの学力を生かした知的労働で移民が進んだ。
 ザンジバルでは1964年のザンジバル革命で金融業を営んでいたインド系住民が多数亡命し、1970年代のウガンダではアミン大統領がインド系住民を追放した。2019年9月22日には、テキサス州ヒューストン市NRGスタジアムで開催されたインド系アメリカ人5万人規模の集会にモディ首相とトランプ大統領も出席した。アメリカのインド系住民400万人、イギリス700万人、日本3万人。日本人僧侶の佐々井秀嶺(アーリア・ナーガルジュン)は1988年、インド国籍を取得。

 カナダのトルドー首相は2016年5月18日、日本籍の汽船でカナダに入国しようとしたインド系の移民希望者らを拒否した事件について、下院で公式に謝罪した。約100年前のカナダ政府の移民制限強化措置を批判し受け入れ拡大の姿勢を改めて示した。「乗客が経験した痛みや苦しみはどんな言葉をかけても消えることはない」と述べた。
 「英国臣民 (British Subject) 」に対する移民管理は場当たり的なものだった。新しいことにはあたふたしたのだ。第二次世界大戦までのカナダに渡来したほぼすべてのインド人は、パンジャブ州の出身者でほとんどがシク教徒だった。東インド会社のインド支配を壊滅寸前まで追い込んだ1857年のセポイ大反乱以降の徴兵方針の転換で、パンジャブ州はインド兵の主要な徴兵拠点となった。シク教徒は「尚武の民(Martial Race) 」として屈強で上背もある人が多い戦闘に長けた資質と、規律と忠誠を重んじる気風を持った種族として英国人が支配者が重用した。シク教徒は英国のインド軍事的支配を支える兵士としてインド各地に駐屯し、香港や上海、シンガポーノレなどの他の植民地の治安維持を担う人員として派遣された。その一つがカナダだった。シク教自身は、よりよい経済機会を求めて太平洋を渡った。高い賃金水準を知った人々が、香港経由ではなく直接カナダに渡り1906年以降急激に増加した。
 インド人移民の大半はロッキ一山脈よりも東部へ移動することはなくブリティッシュ ・コロンビアの太平洋岸に集住。一部が南の国境を越えてアメリカに渡った。すでに中国人や日本人に対する排斥運動が激化。中国からの移民数が急落し、大西洋岸で労働力不足が発生し、インド人は雇用を見つけたが、すぐにインド人も排斥の対象となった。労働組合が 安価なアジア人労働力を阻止すると主張した。『ヴァンク ー ヴァ ー・ ワーノレド』紙は 「腹を空かせたヒンドゥ ーの群れがヴァンク ーヴァ ー市に侵入」 との見出しを掲げた。ブリティッシュ ・コロンビア州の都市は人口増加のために深刻な住宅不足に陥 っていた。インド人の賃貸希望は拒絶され過密な居住環境がインド人は不潔であるというイメージを生み、病気の温床になると信じられた

 阿三(アサン)は、中国上海の旧共同租界地域で、中国人がシク教徒のインド人警察官に対して使った俗称。紅頭阿三(赤い頭のアサン)ともいう。当時上海の租界地域の治安を確保するため、欧米各国はインド人を警察官として雇用した。警察官の多くはシク教徒で識別のために頭に赤いターバンを巻いていた。上司などとの応答で使う英語の「sir」が中国人にはアサンに聞こえた。「阿」には「~ちゃん」という意味もあった。今も中国人はインド人を指すときにこの言葉を使うことがある。

 日本では、明治時代以降、貿易港となった神戸と横浜にインド人貿易商が住み着くようになった。関東大震災後、横浜のインド人達は神戸へ移住し、日本のインド人コミュニティーは神戸に集中するようになった。主に繊維を商うシンド人、雑貨や自動車部品を商うパンジャブ人、真珠を商うグジャラート人などが日本と世界を結ぶ貿易商として活動していた。1935年には神戸モスクがインド人ムスリムによって建立されるなど、インド人街が形成された。現在、神戸にはモスクの他、ヒンドゥー教やシク教、ジャイナ教の寺院、インド食材屋、インド料理屋などが立ち並んでおり、日本の印僑の中心地となっている。
 2000年代に入ると、多くのインド人が訪日するようになり、東京にもインド人コミュニティーが誕生した。東京都江東区や江戸川区に多く、地下鉄東西線の西葛西駅を中心とした西葛西地域がインド人コミュニティーの一大中心地となっているが、永住者は少なく一時滞在者が多い。江戸川区や江東区の2区には東京都内のインド人の4割が集中している。江東区にはインディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパンがある

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