なぜドイツが自国民の脱出を勧告するのか?【インドとのつながり広がる生産拠点】
なぜドイツが自国民の脱出を勧告するのか?
インドとドイツはともに歴史ある国通しなのに語られることが少ない。ヨーロッパとアジアは大航海時代の物流と貿易が中心の歴史観でわかりやすいのだがドイツにはそれがほとんどなかった。二度の敗戦で途絶えた。当時インドはイギリスだったから英独関係の文脈でみるほうがいいのかもしれない。ただドイツとの間ではインド学や映画の深いつながりもある。
ドイツはインドに滞在する国民に対し一時帰国や医療制度が整っている他国への移動を検討するよう勧告した。インドでの死者が増えている。2020年6月17日に2000人以上増えて1万1903人に上った。感染者数が急増した南部チェンナイは2020年6月19日から新たにロックダウンを開始する。
在インドのドイツ企業は約2000社で製造拠点プネやムンバイ、ベンガルール、デリーなど、工業製品に強みを持つドイツ企業が、タタ・モーターズなどのインド企業に部品を供給している。プネーにドイツ企業が集中しているのは、ムンバイには工場用地がないから。プネーが製造業のハブになりタタ・モーターズのほか自動二輪・三輪大手のバジャジ・オートも陸軍拠点がありインフラが整備されているプネーで事業を行っている。ドイツ企業の現地生産はインド市場向けで小型車「ナノ」の部品はドイツ企業が現地で部品を供給している。フォルクスワーゲン、BMW、ダイムラーも生産拠点を持つ。金融サービス業では欧州保険最大手のアリアンツがインドで最大の外資系保険会社。ドイツ銀行。物流のDHLにはお世話になった。ハパグロイド、ハンブルク・スード、DB シェンカー、ルフトハンザドイツ航空などが事業を展開。医薬品・化学分野では、バイエル、BASF、メルクなど。シーメンスやボッシュはインドでの歴史が長く企業の知名度も高い。インドに進出しているドイツ企業の利益率は高く、シーメンスは「人口構成の変化」「都市化」「気候変動」「グローバル化」の 4 つを戦略的方針としてしておりインドがぴったりだ。
インドとの間では学術交流も続いている。
インド学はインド亜大陸の歴史、文化、言語、文学の学術的研究。「インド学」という言葉はドイツの学問とみられることも多く大陸ヨーロッパの大学ではインド学の名のついた学部が英語圏よりも一般的だとのこと。インド学の分野としてはサンスクリット文学、ヒンドゥー教他の宗教でジャイナ教、仏教とパーリ語文学、シーク教など。南インドのドラヴィダ語の言語・文学・文化に関する学術的研究もある。
チャールズ・ウィルキンズ(1749年 – 1836年5月13日)はイギリスの東洋学者で、バガヴァッド・ギーターの翻訳で特に知られるが、ドイツにも学者がいた。
アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルはインド哲学を研究しヨーロッパへの東洋思想の移入に功績があった。
クリスチャン・ラッセン(1800年10月22日 – 1876年5月8日)は、ノルウェー出身のドイツのインド学者でボン大学の教授を務めた。アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルにインド学を学んだ。1826年に『パーリ語論考』を出版。ボン大学の古代インド言語文化の教授に就任しシュレーゲルとラッセンはドイツ初のインド学教授。ボン大学は「ライン川のベナレス」と呼ばれたという。
高楠順次郎は日本のインド学者。
ヤン・シュミット=ガレは『聖なる呼吸 ヨガのルーツに出会う旅』の監督。クリシュナマチャリアの直弟子で現代ヨガの最大流派の一つであるアシュタンガヨガの祖・K.パタビジョイスから太陽礼拝を学び、アイアンガーヨガの祖・B.K.S.アイアンガーからアーサナ(ポーズ)の指導を受ける。旅の最後に、クリシュナマチャリアの三男から“命をつなぐヨガ”を施される。南インドの美しい風景と貴重な映像を交え綴られる、ヨシュミット=ガレ監督は1982年から1986年までミュンヘンの哲学研究所で哲学を学ぶ。
医療先進国ドイツの判断は注意深くみていく必要がありそうだ。