安倍政権は日印関係に何を残したのか?【インドは外交功績を評価し後継にも関心】

モディ首相はツイッターで「親愛なる友人である安倍首相の健康問題に触れ、心が痛む。過去数年は、個人的な貢献と賢明なリーダーシップによりインドと日本の関係はかつてないほど深く、強くなった」と辞任を惜しんだ。
 安倍晋三首相が2020年8月28日に辞任を表明したことについて、安倍首相は国内政策についてはここ数年は「アベノミクス」の効果が出なかったことや日本国内で新型コロナウイルス対策に対する批判があった点などを伝える報道もあったがインドではおおむね評価する声になっている。

 安倍首相のインド外交のレガシーは何だろうか。戦略的結びつきを強めインドを日米印豪の枠組みに組み入れたことはいうまでもない。成長する中国の迫り来る脅威に対抗するために在任中に二国間貿易や協力関係はインドの成長を取り込む形で増加した。
 体調不良のため辞任すると発表した安倍首相はインドを4回訪問した。安倍首相が2006年9月に初めて首相になった際にはインドと日本は「グローバルパートナーシップ」を結んでいた。その一年前の2005年、両国は、隔年で互いに相手国を首脳が訪問する年次二国間サミットを決めていた。安倍首相はそれを受けインドのマンモハンシン首相と首脳会談を行った。当時は、安全保障とエネルギーの要となる原子力協力協定が焦点となった。2006年の共同声明。反核的なスタンスをとる日本の外交政策にとって難しい問題だった。日本は1998年のインドのポカラン核実験場での核実験に対し制裁を実施した経緯がある。インドとの交渉を開始する最も難しい決定だったといえるだろう。
 インドにとって民主党政権は安定的な交渉相手を失う時期となった。その後、2013年5月のシン首相の訪問、2期目の6か月。その3年後、2016年11月11日、安倍首相は東京でモディ首相と核合意の調印に至った。
 日本がインドとの関係をめぐっては、2004年から5月にかけて中国で行われた反日デモで日本の海外投資のリスクを低め、他国との関係を強化する必要が生まれていた。その後、中国の存在感がより高まりアメリカ対立も激化していった。共通の最優先事項として中国の台頭に対処するための安全保障政策が日米とインドを結び付けた。
 インドと日本の二国間貿易は、2005年の7,400億円から、2018年には1兆8,210億円に増加。これをどう評価するかは様々だが、EPAがなければ実現できたものではないだろう。日本のインドへの投資は、2005年の298億円から10倍以上の3,770億円となった。モディ政権時にジャパンデスクも設けられ進出が加速した。
 安倍首相個人のものとそれ以外のものとの整理は必要であるがが、長年にわたる日印関係のレガシーはより戦略的な関係に向けた将来の政治的実績となる。インド太平洋の概念から4か国のグループを形成したことは大きい。元オーストラリア首相のケビン・ラッドによると4か国連合は、安倍氏が2007年に提案。シン首相とチェイニー副大統領に働きかけ、四か国戦略対話の最初の非公式会合が2007年8月にマニラで開催された。当時の麻生外相はアジアでの「自由と繁栄の弧」の推進者で、同じコンセプトの演説「二つの海の交わり」を首相としての最初の訪問でインドの議会で行った。2007年9月にはシンガポールを含むマラバール演習を実施した。
 安倍晋三首相の辞任で日印関係が変わる可能性は低いと現地報道は伝えている。おおむねそうであろうが、安倍首相の血筋を考えると、それに代わるだけのインドとのつながりを現在名前があがっている後継候補が持っているだろうか。麻生副首相は、年長の政治家として、若い世代の小泉、岸田、河野、菅、石破らの動きを見る立場で、次の総選挙まで動かない可能性があるとインドのメディアは伝えている。
 後継総裁とそのインド外交が注目される。

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