ガンディーの記念切手をバングラデシュが発行、ムジブル・ラフマンの記念切手をインドが発行へ【関係を強化する両国はもとは一つの国】

バングラデシュのシェイク・ハシナ首相が2020年12月にリモートの首脳会談を開催する。来年の外交関係の50年の創設にあわせ関係を強化する。どちらも世界の成長エンジンだ。外相レベルの合同諮問委員会(JCC)会議で決まった。2020年3月のモディ首相のバングラデシュ訪問は、COVID-19の突然の拡大で延期されなければならなかった。
 双方はマハトマ・ガンディー生誕150周年を記念して、バングラデシュ政府が発行した記念切手を発表した。インドのジャイシャンカル外相は、2020年12月16日のムジブル・ラフマン生誕100周年を記念して、インドが記念切手を発売すると発表した。

Jaishankar「私たちは接続性、能力開発、エネルギーと電力、国境警備、COVID-19パンデミックなどの主要分野で持続的な二国間関与を行ってきた。この取り組みは、内陸水輸送と貿易に関する議定書(PIWTT)への第2の補遺の署名を含むいくつかの重要な進展をみた」。コルカタからチッタゴンを経由してアガルタラにインドの貨物を移動するための試運転などの成果もある。

シェイク・ハシナ首相とは二度お目にかかり、一度目は90分のロングインタビューだった。1947年9月28日生まれの73歳。バングラデシュの二大政党のひとつ、アワミ連盟の党首。パキスタンからのバングラデシュの独立を果たし国父とされるムジブル・ラフマンの長女。1975年にクーデターで父が暗殺された際に海外にいて生き残った。以後インドで亡命生活を送った。1981年に帰国を果たし、アワミ連盟の党首となった。1983年にエルシャドがクーデターで政権を握り大統領となるとアワミ連盟を率いてこの政権に対する反対運動を展開し再三軟禁された。
 エルシャド大統領の軍事独裁政権が倒れたのち1991年の選挙でライバル、カレダ・ジア率いるバングラデシュ民族主義党に敗れた。続く1996年の議会選挙には勝利し首相に就任。2001年の議会選挙でジアの民族主義党に敗れ下野。2008年12月の総選挙でアワミ連盟を軸にエルシャド派なども結集した政党連合「大連合」が圧勝2009年1月に首相に就任した。

 2014年5月の訪日で直接お話をうかがいハシナ首相はバングラデシュの国旗について「父は日本の日の丸を参考にした」と明らかにした。

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