砂糖選挙
インドでは約五千万人の農民がサトウキビ栽培に従事している。モディ首相が北インドのウッタルプラデシュ州での選挙集会で砂糖農家への支援を強調した。インド人民党にとって極めて重要な州でサトウキビを栽培している農家は、製糖工場についての不満から抗議活動を線路をふさぐ行為に出ている。農民の不満を政治に結びつけることはこの地域での政治家の宿命だ。「サトウキビの工場に問題があるのは知っている。あなた方の受け取れるお金は残らず支払われることを約束する」とモディ氏は訴えた。一二〇〇万トン以上の売れ残りの砂糖が工場に積み上げられている。インドの砂糖価格は国際価格より高いので、輸出されることもない。インドの砂糖の60%を生産するウッタルプラデシュ州とマハラシュトラ州は、総選挙の五四五議席のうち議会に128人の議員を送っている。砂糖は、世界で最も政治化された作物だとさえ言われる。
砂糖と政治は密接に結びついている。日本のコメにあたるのがサトウ。1950年代に最初の製糖所が開設されて以来、政治家たちは製糖所の協同組合選挙に勝利し、製糖所を所有または支配してきた。インドで二番目に大きな杖栽培州であるマハラシュトラ州の5人の大臣は、製糖所を所有している。バージニア大学の経済学の准教授Sandip Sukhtankarは、政治家と製糖工場の関連性について、1993年の間に州選挙または全国選挙を争った183の製糖工場のデータを集め、「政治的に管理されている」工場で支払われたサトウキビの価格が選挙のある年の間に下がったことや、これが生産性の損失によるものではないと指摘している。
政治家は、選挙運動資金を製糖工場から得てきたと批判されている。問題は、農民が不満を持つようにサトウキビと砂糖の公正な価格が実現されていないことだ。農民間の不安は深刻だ。2019年1月には、数千人の怒れるサトウキビ農家が、プネ市のShekhar Gaikwad事務所で、工場への抗議を行った。要求は州大臣を逮捕することだ。真夜中に及ぶ交渉の結果、当局は問題となっている工場から砂糖を差し押さえて小売で売るよう命令を出した。
砂糖はインドでは重要な産業だ。二〇一八年の10月から4月にかけて、およそ525の工場が3000万トン以上の砂糖を生産した。これはインドをブラジルに勝る、世界最大の生産者にする数字だ。多くの工場は、農家が自分たちが所有する土地に比例したシェアを持ち、生産物を工場とつながった協同組合を通して収入を得る。
北部ウッタルプラデシュは、インド最大のサトウキビの名産地。毎年、11から2月にかけて収穫期を迎える。インドではサトウキビから、グルと呼ばれる黒砂糖やカンサリというラム酒が作られる。
釈迦が亡くなったクシナガラも著名な産地。子どもは生のままのサトウキビをかじっておやつにする。私も小さいころに食べた記憶がある。積み上げられた収穫後のサトウキビは、枯れ木の山のように見える。
ウッタルプラデシュは、北部の亜熱帯地方に位置し、さとうきび作付面積では国内の50%以上を占めるインド最大の生産地域。さとうきびの植付けは、2~3月の春植えと9~10月の秋植えがあり、栽培周期は、10ヵ月、12ヵ月、14ヵ月、収穫時期は概ね11月~翌年の4月である。 南部の熱帯地方に比べると灌漑施設の整備が遅れており、気温が低く、さとうきびの成長に影響し、株出しは1回か、多くても2回である。単収は全国平均を大幅に下回る。
政府はサトウキビと砂糖の価格を設定し、生産と輸出量を割り当て、十分な補助金を配っている。国営銀行は農家に作物ローンを、工場に生産ローンを提供し、工場が現金を使い果たすと、公的資金が救済のために用いられる。典型的なサトウキビ農家は、毎月7,000ルピーの砂糖収入を得ている。
世界で最初にさとうきびから砂糖をつくったのがインドだとされている。砂糖の歴史を振り返る。紀元前327年にインドに遠征したアレクサンダー大王が、ガンジス川流域でさとうきびを発見した。インドは砂糖も発祥の地。英語の「Sugar」は、サンスクリット語でさとうきびを意味する「Sarkara」が語源。辛いカレーと甘い砂糖。いずれも、インドが発祥。その後、砂糖は、インドから東の中国、日本に伝わり、西はヨーロッパ、エジプトを経由してアフリカへと伝わった。十一世紀後半以降の十字軍の遠征で、ヨーロッパ各地に広まる。西アフリカのカナリア諸島で栽培されていたさとうきびを、西インド諸島にあるヒスパニオラ島に移植したのがコロンブス。そこから南北アメリカ大陸に広まっていった。ヨーロッパ諸国は、南米やアフリカ大陸で、大規模なさとうきび畑開発、砂糖の大量生産を行った。現在、さとうきびの生産量はブラジルが世界一。
砂糖が日本に伝わった最古の記録は、八世紀の奈良時代に中国から運ばれてきた。十五世紀に茶の湯の流行で和菓子が発達。十六世紀の南蛮貿易で、カステラに代表される西洋菓子に用いる砂糖が入ってきた。十八世紀以降は、江戸幕府が国内産の砂糖を奨励した。一般庶民が砂糖を楽しめるようになったのは、明治時代以降のこと。
インドには砂糖以外に伝統的な含蜜糖であるグルとカンサリがある。これらは比較的自由に販売される。伝統的に、非常に小規模な工場で、中央政府による生産および価格政策がとられていない。製糖工場の新設工場は既存の工場から15キロ以上離れている所にしか建設することができないが、グルとカンサリの業者は工場から5キロ以上離れてさえいれば、新たな工場を自由に開業できる。
グルは、サトウキビを搾り、その汁を釜に流し煮詰める。村のあちこちに黒い煙と甘い香りが立ち込める。煮詰めた後は、丸めて形にする。グルは、ミネラルが豊富で、水で溶いて飲む。飴のように食べることもできる。
砂糖は織物にも迫る産業。サトウキビ栽培農家の人口は農村人口の七%を占める五千万人。
砂糖産業が生み出す直接雇用は一〇〇万人。インド経済にとって重要な位置を占めている。インドの砂糖産業は、伝統的な零細砂糖産業で、釜炊きによる蜜糖のグルやカンサリを製造する業者と、遠心分離機で砂糖を生産する製糖工場の、二つの砂糖産業がさとうきびを取り合っている。製糖工場は、政府のさとうきび買付価格、公共流通制度による販売数量等に基づき経営しなければならないのに対し、零細家内工業が多いグル・カンサリ製造業者は、自由な買付・販売、価格設定ができるという大きな違いがある。さとうきびは、作付面積も生産量も、変動はあるものの、増加の一途をたどっている。
国際砂糖価格は、最近の原油価格の高騰の影響を受ける。サトウキビからのバイオエタノールの利用が進んでいるからだ。インドは世界最大の砂糖消費国、ブラジルに次ぐ世界第二位の砂糖生産国。インドの砂糖は、世界の需給にも影響を及ぼす。
二大生産地はウッタルプラデシュとマハーラーシュトラ州。亜熱帯気候に属するウッタルプラデシュと熱帯気候に属するマハラシュトラ、タミルナドゥでも生産されている。ウッタルプラデーシュが全国の50%、マハーラーシュトラが13%程度、タミルナードゥが10%程度を占める。ウッタルプラデシュではヒマラヤ山脈からの地下水の利用により生産は安定しているが、亜熱帯の気候と小規模農家が多く、単位面積あたりの収量は低い。熱帯のタミルナドゥでは、2~3回の株出しにより高い収量をあげている。
工場は、民間、協同組合、公営の三つがあり、協同組合工場の場合、さとうきび栽培農家には組合員として、その工場の各年度の利益を基に支払いが行われる。マハラシュトラでは、特に協同組合の影響力が強い。ウッタルプラデシュでは、州政府が推し進める総合投資促進策の効果が現れ、工場の投資件数が激増した。
国内在庫がひっ迫してきたことを受け、国内価格の上昇を防ぐためインド中央政府は2006年7月に、突如、輸出を禁止したこともある。砂糖消費は業務用が70%程度を占める。業務用のなかでは、飲料の占める割合が最も多く、飲料に次いで消費量が多いのは、菓子類、パン類。乳製品で消費される量も高い増加率を示している。
インドの砂糖政策は、1952年に、砂糖工場許可制度、さとうきび価格制度、政府により一定の割当量の砂糖が一定価格で買付けられる販売・流通制度が開始され、その後、自由化が進められるなかで、砂糖工場許可制度が1998年9月に廃止された。新規工場の許可を南部熱帯地域に優先的に与えることにより南部地域の砂糖産業が発展した。製糖工場は、契約農家から中央政府が決定した法定最低価格または州政府の推奨価格以上で全量買付けなければならない。このため、さとうきびの作柄が良好となり砂糖生産量が増加して砂糖市場価格が下落した場合には、製糖工場は砂糖市場価格に対して相対的に高いさとうきびを買付けることになる。製糖工場は、採算ラインを越えた価格でさとうきびを農家から買付けざるを得ないのである。しかし、砂糖工場から農家への支払い遅延を発生させることとなり、その結果として農家は翌年の作付けを減少させる。この減産により砂糖市場価格は再び上昇に転じる。
インド政府は1966年から、製糖工場が農家から買付けるさとうきび価格に法定最低価格
を設け、農家を保護している。 法定最低価格は、農家のさとうきびの定植の前に関係者に意見を求めたうえで、価格委員会が決定して公示する。法定最低価格などで農家が優遇されているにもかかわらず、農家はさとうきび栽培の作付けを止めることがある。工場は農家に15日間以内に代金を支払わなければならないという規則があるが、現実は支払いが遅れる。半年以上遅れて支払われることがあり農家は不満を募らせる。
インド人は砂糖を大量に摂取する。供給の大部分は、肥満の問題の増大に直結している。菓子、炭酸飲料などインドの食に甘さは欠かせない。 「人間は砂糖から逃げられない」と砂糖が世界を荒廃させた過程をまとめたジェームズ・ウォルビンは言う。