伝染病

新型コロナウイルスがインドで感染拡大となると大変なことになる。インフォデミック、封じ込めなど、世界の注目を集める舞台となっている。インドはペストの経験が記憶に新しい。在住の際にはペストコントロールがよくあったが地域の問題ではなく、経済大国となった今、世界の震源地になると、対策が進まず当局の力にも混乱があるインドでは、封じ込めは中国以上に難しい。

 インドで初めて新型コロナウイルスの感染を確認されたのは、20201年1月30日。インド保健・家庭福祉省が、南部ケララ州において、国内で初めて新型コロナウイルスの感染者を確認したと発表した。ヒンドゥー紙によると、学生は、1月23日夜に武漢からコルカタを経て、翌日にケララ州のトリシュール県に帰省し、1月27日に症状が出たため、県内の病院の隔離病棟に移された。保健・家庭福祉省は、1月15日以降に中国からの全ての渡航者に検査を要請し、中国からの帰国者には14日間、隔離された環境にとどまるよう求めた。国営航空のエア・インディアは、1月31日デリーからボーイング747を武漢へ派遣し、防護服を着用した客室乗務員や医師が約400人のインド人の輸送を行った。

 新型コロナウイルスの影響はすぐに日本企業の活動にも影響を広げた。カルナタカ州の南西部で接しているケララ州でインド人学生1人の感染が確認されたためだ。市内ではマスクの価格が2倍程度になり、インド商工省は、医療用高性能マスク(N95規格)などの輸出を禁止した。部品に中国からの調達がある企業にも不安が広がった。建設中のベンガルールメトロのトンネル掘削工事に必要な中国の技術者受け入れができなくなえい、工事がさらに遅れることになった。(「タイムズ・オブ・インディア」紙2月5日)。インドの製薬業界は、中国製の原料供給が滞り、価格が急騰。メーカーが先を争って調達に走った。

 一方で、新型ウイルスの特効薬としてインド政府が、アーユルベーダなど古来の治療法を推奨するという動きもあった。科学者たちがワクチン開発を急ぐ中、インドのヨガや自然療法、ホメオパシーを推進する伝統医学省が、1月29日、ホメオパシーや「アーユルベーダ」による古来の治療法が解決策となり得るとの見解を示し、頭皮にすり込むことで症状を緩和するとしたハーブオイルのリストを公表。またホメオパシーの治療薬である「アーセニカム・アルバム30(Arsenicum album-30)」の服用も推奨した。
 インドのダラムサラに亡命しているチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はフェイスブックへの投稿で、ウイルスを懸念する人々は呪文を繰り返し唱えるべきと唱えた。インドでは、サンスクリット語で「生命の科学」を意味するアーユルベーダ医学を復興し、ヨガやマッサージと結び付けてハーブを処方しするものや、微量の服用量で処方される代替薬で病気を治療するホメオパシー療法がさかんで、人口約13億人のうち、約10%の人々にとって主要な代替医療法として利用されている。

 2020年2月13日ごろ、集団感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗組員のインド人とみられる男性が、フェイスブックに助けを求める動画を投稿した。船内のキッチンとみられるところで撮影されて動画の中で男性は「お願いです。なんとかして泥沼の状態からわれわれを助けだしてほしい。モディ首相にお願いだ。われわれを隔離して、どんなことをしてでも無事に家に帰れるようにしてほしい」と訴えかけた。「ダイヤモンド・プリンセス」には、インド人の乗組員132人と乗客6人が乗っていて、このうち乗組員2人について新型コロナウイルスの感染が確認された。

 インド政府は、日本と韓国からの入国制限に踏み切った。インド入国管理局は2020年2月27日、外国からの訪問客に対して入国時の空港で発給する「到着ビザ」のサービスを、日本人と韓国人に対して一時的に停止すると発表した。オンラインで発給する「e―ビザ」も日本、韓国、イタリア、イラン国籍の人は申請できなくなった。インド保健・家庭福祉省は、国内21空港などで日本を含むアジアの10カ国から到着する航空機の搭乗者に対し、発熱検査と健康状況を申告するカードの提出を求めた。インドに行くと帰れなくなるのでないか、日本に帰るとインドに行けなくなるのではないか、そんな懸念が広がった。企業の出張自粛などによる日本からの来訪のキャンセルも相次いだ

 2020年3月3日、インド政府は、入国予定の日本人にこの日、3日以前に発給したビザ査証を無効にすると発表した。入国済みの人のビザは有効だが、出国した時点で無効になる。対象者で再びインドに入国する必要がある場合は、滞在する国のインド大使館などで再申請する必要がある。日本人の入国制限は2月末、観光客らが対象のインド到着時のビザ発給を中止していたが、駐在や留学などの長期滞在者も対象となった。約9000人の日本人在留者がビザの再取得が難しくなることを懸念し不要不急の出国を避けることになる。WHO(世界保健機関)は2020年3月2日の会見で、新型コロナウイルスの感染が広がっている日本を、「最も懸念される国」のひとつに挙げた。3月3日にはツイッターに「最大の懸念」というワードがトレンド入りした。
 インド政府は韓国やイラン、イタリアに対しても同様の措置をとった。インド入国時には全ての乗客を空港で検査する方針も明らかにした。インドでは外国人観光客を含む計28人の感染者が確認されていた。インド政府は4日、解熱鎮痛剤などの輸出制限を開始。「パニックになる必要はない」と呼びかけ、感染拡大を防ぐため10日に予定されていたヒンドゥー教の大祭「ホーリー」に参加しないと表明した。

 全日本空輸(ANA)は、中国と韓国線などで一時運休や減便を決め、インド政府の査証無効化などで需要が減少していることから、東京/成田-ムンバイ線・チェンナイ線を、3月16日から28日まで運休とした。東京/成田?デリー線も、3月17日から28日まで1日1便から週3便に減便すとした。
 国際バスケットボール連盟(FIBA)は2020年3月4日、18~22日にインドのベンガルールで予定されていた、東京五輪新種目の3人制の予選を延期すると発表した。日本は男子が開催国枠での出場を決めており、女子が参加予定だった。
 インドの「ナマステ」挨拶も一躍脚光を浴びた。ウイルス感染を防ぐため、挨拶のとき握手をすることができなくなったからだ。チャリティー団体からの支援を受けて成功した優秀な若者を表彰するアワード「The yearly Prince’s Trust Award」に出席したチャールズ皇太子は、車から降りると握手をしようと無意識に手を差し出すも、慌てて手を引っ込め、両手で合掌した。足を接触させる武漢挨拶のインド版といえる。握手の習慣が「ナマステ」になるのは悪いことではない。

 1994年インド西部の都市スーラトで発生したペストは、全土に広がり死者53人、患者は5000人を超えてパニックをもたらした。10月に入ってようやく鎮静化したが、1994年のスラト疫病は、コロナウイルスを克服する方法についてインドに多くの教訓を与えている。伝染病のうわさが混乱を招き、人々は水と抗生物質を貯め始めた。1994年のスラトのペストは、政府機関間の調整の欠如と誤報の広がりが病気自体よりもはるかにパニックとカオスを引き起こすことになる典型的なケースだ。 

 1994年8月26日以降,インドの南央,南西および北部で,腺ペストおよび肺ペストの集団発生報告が続いた。8月26日,ボンベイの東約300kmのマハラシュトラ州ビル地区で1匹のネズミが死んだとの報告があり,その後ペストの初発患者が報告された。9月22日,ボンベイの北約200kmのグジャラート州スラト市で肺ペスト患者が発生した。9月26日までにスラト市でさらに数百名の肺ペスト患者が発生し,多くの死者が出たと報告された。9月26日および27日には,ボンベイおよびカルカッタから,27日にはデリーからも患者発生が報告された。
 ペストはペスト菌(Yersinia pestis)保有の齧歯動物およびノミから感染する。米国の西部では,野生の齧歯動物からヒトに感染した散発事例が毎年報告されている。しかし,米国では1924年以来,肺ペストがヒトからヒトへと伝播した報告はない。インドでは20世紀前半にペストの大流行があったが,1966年以降はペスト患者発生の報告はなかった。 ヒトペストの多くはペスト菌保有ノミから感染した腺ペストである。ペストの潜伏期は1~7日で,症状は発熱,悪寒,頭痛,倦怠,筋肉痛,虚脱,吐き気等である。腺ペストでは鼠径部,腋窩部,頸部のリンパ節の疼痛を伴う腫脹が特徴であり,肺ペストでは咳と呼吸困難が特徴である。感染ネズミの生息地,特に死んだネズミが観察された地域を避け、死んだり弱ったりした動物の取扱をしないなどの対策があるが、ペストワクチンの抗体上昇は接種後数ヵ月かかるので,緊急時にはワクチンによる感染防御効果は期待できない。

 1994年9月24日、状況は非常に悪化。ほぼ2日で、20万人以上がスラトを去った。1947年のパーティション以来、最大の移住の1つとなり、市の人口の60%が数日で町から消えた。噂は山火事のように広がり、ムンバイでは隣人の車にグジャラートのナンバープレートがあることに気付いき退去を求めるという例もあった。
 肺ペストとコロナウイルスを引き起こす病原体は異なるが、人々の不安と不確実性が似ているという指摘がある。スラト政権は1週間でアウトブレイクを抑制したが、市の評判は低下した。事業は停止し、発生した損失は約816ルピーに達した。ペストは、それまでオープンドレイン、路上に散らばる収集されていないゴミの山、または混雑した非衛生的なスラムを変えていく機会になった。スラト地域政府は、都市インフラの改善から発生への効果的な対応方法の発見まで、その行為を一掃することを余儀なくされました。2008年、中央政府は、感染症の発生に対処するために、国立感染症研究所(NICD)を国立疾病管理センター(NCDC)に名称変更および再編成した。
 繊維とダイヤモンド切断ユニットの人気産業ハブであるスラトは、全国からの移民労働者を集めている。1994年に肺ペストの流行が起こったとき、140万人の人口の40%が移民であり、その80%がスラムに住んでいた。しかし都市は人口とともに成長せず、都市の3分の1のみが、排水システム、水道水、またはゴミ収集方法を備えていた。基本的に、ビジネス以外のことはあまり気にしなかった都市だった。
 豪雨と洪水は、自治体からの予防措置の欠如と相まって、通りの衛生状態を悪化させていた。積み上げられたゴミとは別に、死んだネズミの死体が何日間も道路上に残されていた。ペストの大流行前も、マラリア、胃腸炎、コレラ、デング熱、肝炎などの流行に苦しんできた。

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