ペストを経験したインドで広がるデマウイルス、厄災という不条理の中で安心を求めて人は群れる

空っぽなのはスーパ^-の棚ではなく人間の心、抗体のない脳はデマウイルスに弱い。

 東京メトロ日比谷線の広尾駅から大使館やおしゃれなショップやレストランを抜けていくと太平洋戦争の空襲を免れた祥雲寺がある。関ヶ原の戦いで武功を挙げた黒田長政など多くの大名家の墓碑が立ち並ぶ墓所に入ると大きな『鼠塚』がある。明治33年(1900年)に東京でペストが流行した際、感染源としてねずみが大量に駆除された。碑はねずみ達を慰霊するために明治35年に建てられた。「数知れぬ鼠もさぞやうかぶらむこの石塚の重き恵みに」。石碑の背面に刻まれた歌からは当時の人間の慌てぶりと犠牲となった動物のことがしのばれる。
 日本でペストが最初の報告されたのは1896年(明治29年)で横浜に入港した中国人船客の患者が横浜の中国人病院で死亡した。1899年(明治33年)11月には、台湾から門司港へ帰国した日本人会社員が広島で発病し死亡したのに続いて神戸や大阪などで死者が発生した。1899年には45人のペスト患者が発生40人が死亡。1900年東京市はネズミを1匹あたり5銭で買い上げた。鼠塚はこの時のネズミの霊を供養するためのものだ。ベストはクマネズミなどネズミの仲間に流行する。菌を保有するネズミの血を吸ったノミが人を刺し菌が侵人する。大正15 年(1926 年)を最後に日本ではペスト禍は発生していない。

 1899年の流行で神戸・大阪・岐阜から東京へ侵人するのを防ぐため松田東京市長が鼠駆除を議会に提案。一万円を支出して20万匹を駆除することにした。近辺の交番にネズミを持ち込めば現金引き換え券が支給され区役所で換金する。尻尾の端をつまんで交番の前に人々が列を作った。「吾輩は猫である」の一説。「いってえ人間ほどふてえやつは世の中にいねえぜ。ひとのとった鼠をみんな取り上けやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃだれが補ったかわからねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんかおれのおかげでもう一円五十銭くらいもうけていやがるくせにろくなものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあ体のいい泥棒たぜ」。鼠は桐ケ谷の火葬場などで焼かれた。

 1905-1910年には大阪府で大きな流行があり958名の患者が発生した。この際、紡績工場での患者発生が続いたことから、ペスト流行地のインドから輸入された綿花に混入したネズミが感染源というのが通説になった。ペストはインドの綿工業の発達と深い関係がある。1890年代のインドでは大飢饉とともに各地で発生するペストが労働者不足を生んだ。イギリスにもっていかれた綿工業を取り返すのに苦労することになった。
 1901年(明治34年)警視庁はペスト予防のため屋外での裸足での歩行を禁止した。インドは裸足で生活する風習があり寺院へ巡礼する際には必ず履物を脱ぐ。屋外で常に裸足でいる人も多い。アスファルトでも砂利道でも水溜りでも裸足だ。リクシャやバイクに乗る時も裸足でアクセルやブレーキペダルを踏む。

 新型コロナウイルス対策で全土が封鎖されたインドで、収入も食料も失った多数の出稼ぎ労働者が歩いて帰郷している。工場や建設現場の業務は停止、鉄道やバスも止まっている。

 インド政府が人口の6割にあたる8億人にコメか小麦5キロまたは豆を1キロを無料配布している。シタラマン財務相が発表した総額で1兆7000億ルピー(約2兆4000億円)の経済対策。農家や高齢者には現金給付や無担保融資も行う。

 SNSでの嫌がらせやデマも横行し理性が失われていく。ウイルスをまき散らすとして火葬をやめるよう求める人々と警察が衝突。医師や航空機の乗務員などへの嫌がらせについての報道が相次ぐ。インド政府は2020年3月20日、ソーシャルメディア事業者に偽情報の拡散を管理するよう求める勧告を出した。

 戦争や大災害といった極限状況の中で人間はどう生きていくのか。アルベール・カミュ (1913- 1960)は突如「ペスト」に襲われた北アフリカの港湾都市オラン市を描いた。オラン市は外界から完全に遮断。遅れる行政の対応。根拠のない安心を求めて現実逃避を続ける大衆。想定外の「不条理」で人間の本質が露呈する。

もともとなすべきことは何であったのか、改めて考えさせられる。飢餓というウイルスには食糧というワクチンがあるが、それが支給されることがないのは富める者は抗体も持つからだという。

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