コロナ感染症、浄と不浄の違いが他者を区別する記号となりインドではイスラム教徒への攻撃が強まる

インドで色鮮やかな春の祭典「ホーリー」。モディ首相は不参加だった。人々が年齢や階級を問わず街に繰り出し、色とりどりの粉や水をかけ合う伝統的な祭りは善が悪と戦って勝ったことを祝う祭りだ。2020年3月9日のホーリーはマスクを着けた参加者が目立った。モディ首相はツイッターで感染拡大を防ぐため大規模な集まりを減らすべきだとするのが専門家の意見だからと説明している。そもそも祭祀は厄災を祓うためのもの。敬虔なヒンドゥー教徒から誤解されないようにモディ氏の言い方も難しいところがある。

 ロックダウン命令に逆らい、カルナタカ州では数百人が寺院の祭に参加した。神輿や鉾の巡行とともに大きな人の群れができた。全国規模の封鎖が行われている中、カルナタカのカラブルギの人々はシッダリンゲスワラ寺院の祭りを祝うために集まった。カラブラギはカルナタカのホットスポットでインド国内で記録された最初の犠牲者を含む3人の死者が出ている。

 日本も大仏を建立したこともある。迷信ではなく科学的なアプローチが大切なのはいうまでもない。インドでは厄禍から逃れるために牛の尿を飲んだりヨガを練習したりする人が多い。西ベンガル州ではインド人民党の党員が、感染から守るためとして牛の尿を消費するイベントを企画した。牛の尿は癌や糖尿病、心臓発作などの病気を防ぐ効果があると考えられている。
 モディ首相がロックダウン措置で打ち出したソーシャル・ディスタンスには科学的根拠があるが、ヒンドゥー至上主義者でウッタルプラデシュ州の首相の僧侶ヨギ・アディティアナート氏は、ヨガを実践することで病気を治せるとしている。西洋式の科学的な根拠は示されていない。ただモディ首相もヨガの活用には積極的だ。古代インド人の知識システムに起源をもつ行為が役に立つというのだ。国民健康増進のためのヨガの普及を先頭に立って進めてきた。この段になって、少なくともヨガには効果がないからやるなとは言えない。
 モディ首相はロックダウンを延長する際にもヨガを推奨した。そして水を飲むことも。いずれも間違ったことではない。インドの伝承医療であるアユルヴェーダでは心、体、行動や環境も含めた全体としての調和が、健康にとって重要とみる。病気になりにくい心身を作ることを重んじる予防医学だ。白湯はバランスの取れた消化剤として大変重宝されてきた。知人のインド人もよくステンレスのコップに入れた水を飲んでいた。

 インド憲法の第51条A(h)は、貧困、衛生状態の悪化、非識字の問題に対処するため「科学的気質、ヒューマニズム、探究と改革の精神」を発展させることはすべての市民の基本的な義務であるとしている。科学と非科学の境界はあいまい。科学の先端は常に非科学であり続けてきた。問題は、主体が科学者や医療従事者といった専門家ではないことだろう。強力な新しい電子メディアが大衆に情報を拡散している。感染や拡散の主体は大衆そのものだ。インドのメディアの多くは、大規模な営利企業によって管理されている。民主的機能よりもビジネス上の利益が優先される。

 「イスラム教徒がウイルス拡散」したという言説が広がり危険な状態になっている。ヒンズー至上主義者がイスラム教徒を非難しているのだ。発端はイスラム教団体の集会参加者の間で新型コロナウイルスの感染が広がったこと。ヒンズー至上主義を掲げるインド人民党の中には、イスラム教徒がウイルスを利用して「コロナジハード(聖戦)」を仕掛けていると主張する政治家もいる。それがSNSで次々にリツイートして感染を拡大する。イスラム教徒への襲撃事件や嫌がらせも発生している。コロナ禍は信者にとって「神が与えた試練」なのか。イスラム教徒が信仰心を強めるラマダンは日没後に解禁された飲食を集団で楽しむ。

 3月にニューデリーで開かれたイスラム教団体「タブリーギ・ジャマート」の集会にはインドやインドネシア、マレーシアから数千人が参加していた。信者が狭い間隔で並び祈りをささげる行為はまさに「3密」そのもの。集団感染が起き参加者がインド内外の各地に散らばった。この集会から広がった感染者は4000人以上とされる。集会が感染拡大の一因になった可能性は高いが新型コロナを「利用」してイスラム教徒への憎悪を煽るやり方は要注意だ。

 人間は予想外のことが起きるとわかりやすい原因を求めたたがる。その多くは自分や身内の責任には目を向けず「外」に原因を探そうとする。「内」と「外」を区別するのは、国境だったり、肌の色だったり、言語だったりする。それも危険なのだが、カテゴリーが見える化されていない区別の基準はいっそうやっかいなものとなる。

 この難しい問題に首をつっこんできたのがアメリカだ。インドは、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒の患者の分離に関する米国パネルの批判的な発言に反発した。
 アメリカ議会の委員会が、ヒンズー教徒とイスラム教徒が患者のための病院に隔離されているという情報について懸念を表明したとして論議を呼んでいる。インディアンエクスプレス紙の報道によると、グジャラート州のアーメダバード市民病院では患者の信仰に従って病棟が割り当てられていた。グジャラート州には宗教コミュニティ間の対立と緊張の歴史がある。モディ氏が州の首相であった2002年の大きな宗教暴動に発展した。議会によって任命された超党派の専門家パネルである「国際信教の自由委員会」はツイートで、グジャラートの別々の病棟に分離されたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の患者の報告に懸念があると指摘した。インドで進行中のイスラム教徒への非難を助長し、イスラム教徒が感染を広めるという噂がさらに広がることになるという。コロナ以前から「国際信教の自由委員会(USCIRF)」はモディ政権のイスラム教徒との向かい方に批判的だ。過激なヒンズー教徒によるイスラム教徒に対する攻撃に警鐘を鳴らしてきた。

 インドのアヌラ・グスリバスタバ外務省報道官は、パンデミックと闘うという国の目標に宗教的な色を加えることをやめるべきだと反発している。州政府も宗教に基づく隔離は行われていないと否定している。国際的な混乱を広げることにきっかけとなった医療監督官のラトッド博士は「誤って引用された」と主張している。結局、言った言わない、事実関係はどうなのかあいまいだから加熱する。

 疫禍は不安と直結する。故に人間の価値観を変えてきた。ペスト、梅毒、スペイン風邪、HIVは、隣人との接触の方法や関係も変えた。汚された他者、汚れた自分。ウイルスは物質だが毒性を増幅するのは人間。自分だけはという意識がわかりやすい悪者を探す。風俗産業やパチンコへの非難に他の施設と比較した科学的根拠をまだ見たことがない。

 カーストはインド社会に独特な身分制度。その起源は前 1500年頃ガンジス川流域にアーリア人が進出し,先住民を征服して彼らを隷属階級として支配した時代にまでさかのぼるといわれる。その後,支配層の間にも職能の分化が生じ,人間を4つの貴賤に順序づける,バラモン (司祭者) ,クシャトリヤ (王侯,武士) ,バイシャ (庶民) ,シュードラ (隷属民) の種姓制度が成立した。各カーストは閉鎖的,排他的であり,他のカーストとの通婚および飲食は厳重に禁止されていた。このような生来の身分をインド人自身はジャーティ (生れ) と呼んでいた。ポルトガル人が家系,血統を意味するカスタという語をジャーティをさすのに用いたことから「カースト」という語が生れた。カーストはインドの言葉ではない。インドではこの運命による「役割分担」は反発も革命も起こさなかった。 インドの身分社会はヴァルナ制という。これがカーストと同義に用いられた。ではこのヴァルナとは何かいうと、「色」だ。「種姓」と訳されるが本来の語義は「色」を意味する。肌の色の白いアーリヤ人が有色の非アーリヤ人の先住民族(ドラヴィダ族)を支配した。肌色の白い自分たちとそれ以外の被支配民族を区別した。インドでは風土病に侵された地元民をポルトガル人が区別したことが「カースト」の起源ともいわれる。そして「カースト制度」の中では、4つの範疇に入らない不可触民がいる。アンタッチャブル、ハリジャンとも呼ばれる。不可触民の人たちは、触れただけ、あるいは目にしただけでも「穢れる」ものとして差別されてきた。特別な存在ではなく、その多くは大衆の中にいる。###

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