【スパイスのスパイス】2:胡椒

肉、野菜、ラーメンなどにかけるコショウ。くしゃみをさそう。中世ヨーロッパでは香辛料が珍重された。オランダ東インド会社が生まれたの背景の一つに胡椒の需要がある。ジャガイモやトマト、トウガラシなど新大陸原産の食品がまだ普及しておらず食文化は単調だった。変化をもたせるためのスパイスは贅沢品というより必需品になった。肉の臭みを消したともいわれる。黒いダイヤとも表現される。15世紀にヨーロッパの香辛料貿易の拠点となったヴェネチアは中東を介した胡椒貿易で「ヴェニスの商人」の繁栄を築いた。

#ヨーロッパの食卓

1415年、ポルトガル王ジョアン1世の三男エンリケはジブラルタル海峡のアフリカ沿岸からイスラム勢力を追い出しアフリカ南端を迂回する航路の発見に乗り出した。1492年にスペインの支援を受けたコロンブスが新大陸に到達したのに触発されて、1498年にポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でインド到達した。カリカットに降り立った船員が「キリスト教と胡椒のため」に来た、とよくいわれる。

#白い花

胡椒はコショウ科のつる性常緑半低木。南インド原産。インド、ジャワ、スマトラ、南アメリカなどで栽培される。茎は紅紫色を帯び、他の樹木にからんで長さ七~八メートルになる。葉は互生で柄をもち、長さ一〇~一五センチメートルの広卵状楕円形で先はとがる。雌雄異株。初夏、葉と向かいあって白い小さな花を密生した花穂が垂下する。花後、径約五ミリメートルの実を結び褐色に熟する。実には芳香と強烈な辛味があり、乾燥させて調味料に用いるほか、漢方ではマラリア・健胃・駆風の薬として用いる。実は、成熟度や採取後の処理方法の違いによって、グリーンペッパー、白胡椒、黒胡椒に分けられる。(コトバンク)。レッドペッパーは唐辛子。

#天国の種子

コショウは、古代からインド地方の主要な輸出品だった。古代の地中海世界では、長コショウが成熟したものが黒コショウになると考えられており、その間違いは、16世紀まで続いた。長コショウは黒・白胡椒よりも高額に扱われていたが、中世盛期に入ると黒胡椒などと競合するようになり、中世後期になるころには使われなくなっていった。ロングペパーがサンスクリット語(梵語)で「ピッパリ」と呼ばれていたためペパーという名がついたとされる。
胡椒は、ピペリン(piperine)による抗菌・防腐・防虫作用が知られている。冷蔵技術が未発達であった中世や大航海時代に食料を長期保存するためのものとして極めて珍重されたとされる。十字軍、大航海時代などの目的のひとつが胡椒であったという見方もある。1世紀のローマにおいて、金や銀と胡椒が同重量で交換されたかのような表現もされ、 中世ヨーロッパにおいて貨幣の代用として用いられたりもしたという。ヴェネチアの人々は胡椒を「天国の種子」と呼んだとされる。

宮廷料理を調理する王侯貴族のお抱え料理人達が書く料理本において、コショウはローマ時代は常連の香辛料であったが、中世においてはその数を減じていった。 アルノー・ド・ヴィルヌーヴ作とされる『レギメン・サニタティス』には、「胡椒は農夫のソースであり,かれらは胡椒を下品な豆類と混ぜて食っている」と記載し、富者の上品なソースと対比させて述べている。

#西方の胡

日本には中国を経て伝来したため胡椒と呼ばれる。中国ではコショウを胡椒と呼ぶ。胡は西方や北方の異民族、椒はスパイス。天平勝宝8歳(756)、聖武天皇の77日忌に東大寺に献納された献納品の目録『東大寺献物帳』の中にコショウが記載されているとのこと。当時の日本ではコショウは生薬として用いられていた。唐辛子が伝来する以前には、山椒と並ぶ香辛料として現在より多くの料理で利用されており、うどんの薬味としても用いられていた。江戸期を通じて唐船やオランダ船が胡椒を輸入していた。

原産地はインド南西マラバール地方。 現在ではインド・インドネシア・マレーシア・ベトナム・スリランカ・ブラジル・カンボジアが主な産地。ケーララ州の沿岸はマラバール海岸と呼ばれコショウの原産地である。マルコ・ポーロが上陸したのは、コバラム近くのマラバール海岸でとされる。明朝の鄭和もカリカット(コーリコード)に来航した。15世紀にヴァスコ・ダ・ガマが上陸した。1661年、オランダ領マラバールが出来る。インド初の国産空母ヴィクラントの建造もコーチの造船所が請け負っている。

#野生の植物

以下、『16 世紀初頭までの南アジア・東南アジアにおける胡椒の生産と貿易』より引用。商品としての胡椒には、白胡椒と黒胡椒の2種があるが、もとは同一のものである。成熟直前の青い実を取って乾燥し、黒色を呈するものが黒胡椒である。そして成熟した果実の果皮と種子とをとり巻く上皮を取り去って表皮が滑らかで白色になったものを臼胡椒という。白胡椒は黒胡椒よりも刺激がおだやかで甘さがあり、香味も勝っている。したがって、白胡椒は黒胡椒よりも高価である。しかし、商品としては、黒胡椒に比べて白胡椒の製造はきわめて少なく。。。
古くから薬品としての効用も広く知られ、強い刺激性の辛辣な味と匂いは、消化機能を促進させるものとされ食欲増進剤として重宝された。さらに健胃剤として、また凡ゆる疾病に効く万能薬としても使用されたのである。ヨーロッパでは、コレラやペストが流行した際、ポケットに胡椒を入れておくと、病気にかからないという俗信もあった。
胡椒として、ヨーロッパの歴史文献にまず現われたのは、インド産の胡椒であった。インドの胡椒としては、南インドのマラバル(Malabar)海岸地方に産する、前記のいわゆる胡椒(PiPer nigram)とベンガル・ネパール・アッサム・カシーヒルなど主としてインド北部に多く産する長胡椒とがある。古代のインドでは胡椒よりもこの長胡椒の根茎と漿果の方が、まず初めに薬用として認められ使用さ
れた。
インドのサンスクリット語では長胡椒をピパリ(Pippali)と云い、普通の胡椒をマリチャという。ヨーロッパでスパイスとしての胡椒の使用は、帝政ローマ時代において盛んになったらしい。ローマ人はB.C.30年にエジプトを占領してから、陸路ペルシャを経由してシリアなどで入手するよりも容易に多量かつ安価な胡椒を入手することが可能になった。それにつれて、彼らローマ人の胡椒の消費量は増大して、季節風の利用によってエジプトから紅海を経てインド洋を横断してインド西岸に至る航海路も開かれて盛大となり、そのことはまた一層ローマ人の胡椒の消費を増大させたとみられる。
A.D.1世紀のローマ人プリニウス(G. Plinius)は『博物誌』の中で、インドで胡椒がローマ人の食生活に不可欠の嗜好品となったことを嘆いて、次のように述べている。「胡椒の使用がこんなに流行するようになったことは異常である。ある品物についてはその甘い味がひとつの魅力であり、また他のものについてはその外観がそうであるのに、胡椒はその実にも漿果にも取柄がないのだから。それのよろこばしいただ一つの性質といえば、それがぴりっとすることであり、それを入手しようとして、われわれははるばるインドまで出掛けて行くのだ。贅沢な食べ物にそれを加えてみたいなどと考え、食欲を高めたいということなら、ただ腹を空かせさえすればよいことなのに、それで満足しなかった最初の人々はいったい誰であったろうか。胡椒もショウガもそれらの国々では野生している。それなのにそれらはわが国では金や銀のような目方で買われているのだ

なんの取り柄もないものが場所を変えるだけで原価の100倍で売られていたことを考える。世界がフラットになり、グローバル化した現代に残された黒いダイヤは何だろうか。

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