ドタキャンの理由
安倍首相が2019年12月15日から予定していたインド訪問を13日に中止した。中印会談は順調に行われたのに。まずもって、首脳の訪問が直前に中止されるなど通常の外交ではありえない。治安の悪化が理由とされているが、そもそも治安の悪い場所など首脳外交の場所には選ばない。少なくともこれまでの日本外交では。では中止になったのはなぜか。本当に想定外といえるほどに急激に治安が悪化したか。それ以外の理由で訪問を取りやめたかったかだ。貿易交渉RCEPで距離ができた、桜対応など、様々に憶測は流れるが、ここは事実に沿って考えてみたい。
首相のインド訪問は、二年ぶり。インドのモディ首相とインド北東部アッサム州グワハティなどで首脳会談を行うはずだった。アッサムではインド政府に対する大規模な抗議デモが激しくなっていた。デモが過熱している直接の引き金となったのは、国籍法の改正だ。
インドの国会は2019年12月11日、国籍法の改正案を可決した。2014年末までにインドに不法入国したバングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンの出身者のうち、ヒンドゥー教、シク教、仏教、キリスト教など6つの宗教の信者にインド国籍を与えるというものだ。イスラム教徒は排除するとは書かれていないが、国籍授与の対象に入っていない。インド人民党は改正の理由を「三カ国で少数派として迫害され、インドに逃れてきた人々を救うため」としているが、イスラム教徒からすれば明らかな差別、排除に見える。現地の知人からは激しい怒りの声が聞こえてくる。
インド人民党は、ヒンドゥー教の伝統に基づいた国家建設を進める。「ヒンドゥー至上主義」の「民俗義勇団(RSS)」を支持母体としている。インド人民党政権になってヒンドゥー教が神の乗り物とする牛の屠殺をめぐる衝突も表面化している。アッサム州はイギリス植民地の以前にはムガル帝国の版図。今も多くのイスラム教徒が暮らす。イスラム教徒との対立以前に、民族・宗教・言語を異にする人種のるつぼで農地をめぐる争いが続いてきた。先住のボド族にとってはアッサム語やベンガル語の住民に多数派の地位を奪われたという被害者意識が強い。ただでさえ一触即発のところに、近隣国からの住民を受け入れるというのだから黙ってはいられなくなったわけだ。
危険極まりない法律改正に踏み切ったのはなぜか。2019年の総選挙で圧勝したインド人民党が崩せなかった牙城の一つがインド北東部だ。経済成長が4.5パーセントと、政権維持に赤信号の数字を前に、民族主義というインド人民党の切り札を使ったとの見方が強い。絶対安定多数の力を背景にヒンドゥー教徒の支持固めに出たということだ。これから続く地方選挙で政権支持率を取り戻したいという意図がうかがえる。日本の首相を招いた理由もここにある。開発の遅れた北東部に日本の大型インフラ投資を促したい。経済低迷時に新幹線契約を引き入れたモディ外交の先例がそれを物語っている。しかし、暴動は12月13日首都ニューデリーにも拡大し、国籍法改正を批判してイスラム教徒の国会議員らが猛反発、イスラム系大学の学生らが警官隊と衝突する事態となっている。アフガニスタンには、多数派のスンニ派からの迫害を受けている少数民族ハザラ人もいる。バングラデシュでは、シーア派モスクに対するスンニ派過激派の爆弾テロが起きている。国籍法改正案が国会で可決された直後に予定されていた13日からのインド訪問をバングラデシュのアブドルモミン外相は取りやめた。人道的措置ならば、どうしてイスラム教徒も対象としないのか。モディ政権は、発足直後に、カシミールに与えられていた特別な自治権を剥奪。政権の狙いはイスラム教徒の排斥と弾圧だと強い批判が起きている。
イギリスの植民地時代アッサムでは紅茶の栽培が進められ、本国に送られイギリスのブランド名で世界に輸出された茶葉は大英帝国の繁栄の一端を担った。一本一本芽を手摘みをする紅茶農園の労働を支えたのはベンガル地方、今のバングラデシュから移動してきたイスラム教徒だった。そのバングラデシュは、ミャンマーのイスラム教徒であるロヒンギャ難民の圧力を受けている。
セブンシスターズと呼ばれるインド北東部7州は、バングラデシュ、ネパール、ブータン、ミャンマー、チベットと接する。文化や言語が大きく異なり、インドからの分離独立を求める武装闘争が続いてきた地域もある。私が駐在していた時期も簡単には近づけない場所で、治安上の理由として、外国人の立ち入りは制限されてきた。
そんな複雑な事情を抱えた地域になぜ訪問しようとしたのか、日本側にも思惑がある。モディ首相との首脳会談は首都ニューデリーではなくアッサム州の州都グワハティで行う予定だったが、日本側にとっては、アッサム州より強い関心があったのは隣のマニプール州だろう。インド北東部と日本との歴史的なつながりの象徴「インパール作戦」の地だ。太平洋戦争末期、悪化する戦況の大逆転を目指して、中国を背後から攻めるインド地域の攻略。1944年に日本軍は、イギリスからのインド独立を目指す勢力と合流し、イギリス軍の拠点のインパールの攻略を図った。アラカン山脈を越える作戦は補給のない無謀なもので多数の日本兵が命を落とした。そのインパールで、日本財団などが支援し、2019年6月に「インパール平和資料館」が開館。資料館には、安倍首相が揮毫した「平和」の書が掲げられている。安倍氏は前の任期の際にもボース氏の子孫との関係を強調している。準同盟国とならんとする日印の関係強化を世界に知らしめるには格好の地だ。その世界の中に含まれるのが、中国だ。
アルナチャルプラデシュ州は、中国と長い国境を接し、中国も領有を主張している中印の紛争地だ。ブラマプトラ川に遮られ近づけなかったこの州にモディ政権はインド最大の橋を建設。忘れ去られていた地域が一躍、脚光を浴びることになった。インド北東部からタイに伸びる新たな経済圏内の開発に日本が一役買おうということになったのだ。安倍首相の前回の訪印となった2017年に両国は
共同声明を採択し北東部での交通網の整備などで合意した。
仕切り直しの首脳会談が再び北東部に設定されるのか。それを決めるのは両国の国内事情によるところが大きい。それにしても、イギリスは何をしているのだろう。インド外交の未曽有の好機だが、出るとか出ないとか、近くの大陸か、国内のことしか見えないらしい。西側文明をもたらした香港も本来なら放っておけないはずだが。アッサムを命名したのはパックス・ブリタニカの大英帝国。アッサム紅茶は、インド名のアソム紅茶と名前を変えたほうがよいのかもしれない。###