タリバン、ベトナム戦争よりも長い現在進行形の「戦争」に出口は見えるのか

18年にわたる最長で現在進行形の戦争の終結への一歩となるのだろうか。アメリカとアフガニスタンの反政府勢力タリバンは2020年2月29日、和平合意に調印した。アメリカ軍や連合軍のアフガン撤退につながる可能性がある。和平合意はカタールの首都ドーハで、米国のアフガン和平担当特別代表を務めるハリルザド氏とタリバンの政治部門トップ、バラダル氏が署名し、ポンぺオ米国務長官も調印式に出席した。エスパー米国防長官は、カブールでガニ大統領と会談し、和平調印に合わせて共同声明を発表した。
 アメリカは、タリバンが合意内容を順守すれば、和平調印から135日以内に米軍のアフガン駐留規模を現在の1万3000人から8600人に削減し、また連合軍の規模縮小に向けても取り組む。共同声明によると、タリバン側の合意履行を条件に、米軍と連合軍の完全撤退は和平調印から14カ月以内に行われる見通し。アフガン政府は、タリバンと交渉し停戦を実現する用意があるとし、米軍と連合軍の段階的な撤退を支援すると表明した。
 二〇〇一年九月十一日の同時多発テロ事件の直後に、アフガニスタンのタリバン政権の本拠地カンダハルに最も近いパキスタン国境の町クエッタで、私は「マドラサ」という名で呼ばれるイスラム教の神学校の取材をしていた。この「マドラサ」では、イスラムの世界を守るための「聖戦」が教えられていた。
当時、タリバン政権は、アルカイダを率いるオサマ・ビンラディンの身柄の引き渡しに応じず、アメリカ軍の空爆が秒読みの段階に入っていた。アフガニスタンへの攻撃が不可避となるなかで、パキスタンからは、多くのイスラム教徒たちが同胞を守るために義勇兵としてアフガニスタンに向かおうとしていた。「イスラム聖職者協会」の勇壮な男たちが、頭に黒いターバンを巻き、長いあご髭を生やしてビンラディンを支持する声を高くしていた。そうした義勇兵たちの多くは、「マドラサ」の出身者だった。「マドラサ」はイスラム教徒の同朋意識を育てる場にもなっていた。
私が訪れた「マドラサ」は、クエッタの町の中心部、石積みの塀が迷路のように続く突き当たりにあった。通用口から中に入ると、礼拝の広場を四階建ての校舎が包み込むように広がるイスラム独特の空間に、コーランを読み上げる声が間断なく続いていた。狭い教室には、みかん箱のような机の前に教師が一人いて、それを取り囲む子供たちにイスラム世界を外界から守るための聖戦を説いていた。教師は、ソビエトの軍事侵攻と戦ったイスラム戦士で、眉間の傷跡が大きな口を開けていた。
子供たちは、この教室で寝泊りし、一日中ほとんど学校の外に出ることなく、イスラムの教えを学んでいた。多くの子供たちは、父親が戦場での実戦経験を持っていて、自分もイスラムの教えを学んで父親と同じようにイスラムのために命を捧げるのが夢だと語った。少年たちの凛々しい表情からは、迷うことのない信念が感じられた。ここの子供たちは、青酸カリの小瓶の代わりに、コーランを手にしていた。
やがてアメリカ軍の空爆が始まり、アフガニスタンの一部の地域は焦土と化した。アフガニスタンの住民は、隣国のパキスタンに逃れた。パキスタンは国境を封鎖したが、難民の一部は山越えをしてパキスタンに逃れてきていた。アフガニスタン国境に近い町ペシャワールには、アフガニスタンで親と死に別れた子供たちのための孤児院が設けられていた。孤児院に収容されている子供の一人に、アジマルという名前の十歳になるソバカス顔の可愛い男の子がいた。アジマルは、カブールの北の最も激しい空爆が続いた地区の出身で、空爆で両親を失っていた。
「お父さんは病気だったので、日中も家の中にいました。僕は昼食のパンを買いに行っていたのです。そのとき、後ろから飛行機の大きな音が聞こえました。僕の家の方角でした。すぐに走って家に戻りましたが、家はなくなっていました」
両親だけでなく、兄弟六人も死亡していた。両親の話に水を向けると、アジマルの目から堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。彼は遠縁の親戚に預けられたが、結局引き取り手がなく、この孤児院に来ることになった。今は、孤児院の中に設けられた小さな学校で自分より年下の子供たちのために食事の世話をしている。孤児院の院長は、自分よりさらに弱い者の世話をすることで、アジマルが精神の安定を保とうとしているのだと話した。
 アメリカの空爆は、多くの子供たちからかけがえのない親を奪った。アフガニスタンに戻っても子供たちには親はいない。故郷には、思い出したくない記憶しか残されていない。
「この子たちは絶対アメリカに仕返しをしたいと思うでしょうね」
同行していたカメラマンがそうつぶやいた。
そのカメラマンの言葉を、私は一年後、同じマドラサで確認することになった。アメリカの圧力に屈したパキスタン政府は、マドラサでの教育が宗教に偏ったものにならないように、英語の授業を強制的に導入していた。アメリカを敵と叫んでいた子供たちは、教室で憎むべき敵の言語である英語を復唱していた。しかし子供の一人が覚えたての英語を使って歌っていたのは、オサマ・ビンラディンを称える歌だった。
カディルという名の十五歳の少年は、コーランの節で、アメリカこそがテロリストだと歌った。カディルの兄は、アフガニスタンに聖戦に向かい命を落としていた。歌は、息子を失った父親が、弟のカディルに教えたものだった。アフガニスタンで何が起きたのかを理解できない子供にとって、ビンラディンはアメリカと戦い、ブッシュを殺すイスラムの英雄でしかなかった。カディルは世界の多くがテロリストと非難するビンラディンを、好きだと歌った。コーランを学ぶときと同じように、体を前後に揺らしながら、カディルは何度もその歌を歌った。

神がビンラディンを祝福する
私の大切なビンラディン
ビンラディンはイスラムの子
ビンラディンの道は正しく
アルカイダは黄金の花
アメリカとロシアと戦う
イスラムの守り手
ブッシュを殺す
カディルが好きなビンラディン
カディルが好きなビンラディン

クエッタとペシャワールの二つの教室で、私は、イスラム教徒の子供たちを百八十度逆の視点から見ることになった。同じように学校で寝泊りする子供たちが、クエッタでは、聖戦に向かう戦士であり、ペシャワールでは親を失った犠牲者であった。犠牲者と戦士は、相反するもののようにも見えるが、アメリカに対する憎しみという点では共通していた。

世界を震撼させた自爆攻撃、すなわち同時多発テロ事件を引き起こしたとされるテロ組織のアルカイダは、イスラム教徒の反米感情のネットワークを世界中に張り巡らせている。アルカイダの自爆攻撃は、全部で三件とその件数は少ないものの、規模と政治的な影響力においては、他を凌駕している。そしてその特徴は、世界最強の国アメリカを攻撃対象にしていることだ。そして、アメリカからイスラム世界を守るためとして「聖戦」の名の下に、暴力行為を正当化しようとしている。
一九九八年八月七日、ケニアのアメリカ大使館がタンザニアのアメリカ大使館とともに爆破された。二百十三人が死亡したこの事件では、後部の荷台に大型の爆弾が積載されていたトヨタのトラックを大使館の裏手まで運転し、車から降りて爆弾を起爆させていた。サウジアラビア国籍のアルカイダの工作員が爆発によって死亡している。この工作員が死を覚悟していたのかどうかは明らかではないが、同じトラック乗っていた共犯の男は、アルカイダの目的のために死ぬことを望んでいたため、金もパスポートも所持しておらず、事件現場から国外に逃亡する計画を持っていなかったといわれている。
 二〇〇〇年十月十二日。イエメンの主要都市アデンの港に停泊していたアメリカ第五艦隊の駆逐艦「USSコール」が自爆攻撃の対象となった。大規模な爆発で、コールの左舷には、縦六メートル、横十二メートルの巨大な穴が開いた。多数の誘導ミサイルによるイージス戦闘システムで対イラクの海上封鎖の任務にあたっていた最新鋭艦の巨体が傾き、乗組員ら十七人が死亡した。係留船を装ってコールに近づき爆発した小型のゴムボートには、二人の男が立っていたという目撃証言があり、自爆攻撃の可能性が強いとされている。アメリカは、事件の背後に、オサマ・ビンラディンがいるとしている。
同時多発テロ事件以降、テロとの戦いを訴え、軍事作戦を続けているアメリカの姿勢は、アメリカ国民だけでなく、日本を含む各国政府から賛同と支援を得ている。その根底には、もう二度とテロにあいたくないという気持ちと、テロから身を守るためには、攻撃を仕掛けてくるかもしれない者を、あらかじめ壊滅しなければならないという自衛の論理が働いているのだろう。
しかし、自衛のためという論理は、必ず立場を逆転して考えなければ、すべての暴力行為を正当化してしまう危険性がある。それぞれが置かれている立場を置き換えると、お互いの自衛行為は、それぞれ攻撃行為と化してしまう。自衛のため、あるいは必要悪という口実で正当化される暴力行為がまず、本当に自衛のためのものであり、必要悪と言えるものなのか、詳しい検証が必要である。そして、それを敵対する者を含むすべての人に対して、納得のいく形で説明することが必要なのだろう。
 大きな問いへの答えは出されないままだ。テロとの闘いがどうなるのか、私は見続けるつもりだ。

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