有事の指導力が問われるコロナ禍、首相の胆力を知るたった一つの方法

コロナウイルスの危機がモディ首相ではなくマンモハン・シン氏の治世下でインドを襲ったとしたらどうなっていただろうか。モディ首相が「動」の政治家ならばシン元首相は「静」の政治家だ。モディ首相は、制度の力をフルに使って、国民とのコミュニケーションを広げている。モディ首相のカリスマ性は、パンデミックの中でのロックダウンの命令や蝋燭をともした国民全員の内省の時間も可能にした。シン首相は、落ちついた声、おとなしい態度、完璧主義の学者肌の緻密な計画性が特徴だ。
 2004年から2014年にマンモハン・シン政権は、国民会議派のソニア・ガンジー議長との双頭体制だった。シン氏の意思決定はコンサルティング的であり、理論上は経済をうまく処理していた。1991年には財務相としてインドの経済危機を乗り切った実績もある。シン氏ならば、データに応じて段階的に制限を増加させる方法で、徐々にロックダウンの程度を引き上げていたのではないだろうか。シン氏ならば、突然の完全封鎖が経済に与える影響の大きさを十分知っていたはずだ。しかし、シン氏の弱点は、モディ氏と比べたときのコミュニケーション力だろう。国民会議派政権は、政府が弱体で困難な決断を下す勇気がないと見なされた。それがモディ氏がインドの大衆の心をつかむ契機にもなった。
 モディ首相は、過去の制度も有効に活用している。コロナウイルスの蔓延を追跡するために使用されているのは、2004年に開発された統合疾病監視プログラム(Integrated Disease Surveillance Progra)だ。3月29日、モディ政権は緊急対策にあたる11のグループを設立した。これは2005年の災害対策法に基づくものだ。サプライチェーンと物流管理、食品や医薬品などの必要なアイテム、NGOや国際機関との調整、マスク、手袋、人工呼吸器、それらの製造、調達、輸入、流通など業務は多岐にわたる。モディ首相の最も野心的な医療制度である「モディケア」のアユシュマン・バーラトも2008年に始められたものの拡張版だ。
 2006年に官民主導でマンモハン・シンによってインドの公衆衛生財団が設立されていたが、非伝染性疾患の負担の増加で公衆衛生への関心が衰え始めていた。伝染病や感染症にインドは非常に脆弱で警戒を怠ることはできない。軍の幹部が民間病院で働いていたインド医療サービスがあり、アクセスしやすく手頃な価格の公衆衛生研究所のネットワークを構築、感染症の専門で人材育成を進め、研究NGOのネットワークを構築することも必要だ。
 経済面では、モディ政府は危機への対処に積極的だが、主要な面での誤りもあったと批判もされている。その一つが、事実上わずか3.5時間の通知で3週間の全国的な封鎖を課すことは、医療および食料品店で混乱を引き起こした。準備の時間が必要だったとの批判だ。人々が仕事場に行き、請求書を支払い、家で仕事をするために書類を集め、必需品を購入できるように、4日間程度ののり代が必要だったというものだ。二つ目は、公共交通機関の閉鎖で、移民労働者が安全に村に帰ることが難しくなった。
 マンモハン・シン政権の長所であった外交政策の面で特筆されるのは南アジア地域での対応になる。モディの以前は南アジア諸国の政府にパンデミックに際して集団的対策への参加を促すのが難しかった。パキスタンとの問題があり、危機を乗り越えるための集団キャンペーンに資金を提供するためのインドの寄付としてモディが発表した1,000万ドルは小さすぎた。

SARRCのビデオ会議での協力体制がどこまで進むのかが注目だ。
 モディ首相は、2001年のグジャラート地震のような災害対策にあたってきた。シン首相が2004年のインド洋大津波危機を乗り越えたのと同じです。良い指導者は、危機を無駄にすることはない。ブッカー賞を受賞したArundhati Royがは、パンデミックは人間に過去を打ち破り自分たちの世界を新たに想像させることを余儀なくするポータルゲートウェイとなり、世界と次の世界とをつないできた、と指摘している。
 モディ首相は、コロナウイルスのパンデミックをポータルとして使用して、公衆衛生上の緊急事態に対応していくことができるのだろうか。

https://www.livemint.com/news/world/all-saarc-nations-barring-pakistan-pledge-to-covid-19-emergency-fund-11584957422897.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください